長崎に住む被爆体験をもつ老婆。ハワイから彼女の元に、実の兄弟だと名乗る手紙が届き、病床の自分に会いに来てほしいという。周りの者たちは会いに行けと言うが、老婆の心には原爆の傷がなお生々しく残り、やがてその心を蝕むのであった。
『なんだかおかしな夏でした。その夏休みには奇妙な出来事ばかり起こりました。』というナレーションで始まるこの映画は、夏休みに長崎のおばあちゃんの家に集まったいとこ達によって語られる。調子外れのオルガンで弾かれる『野ばら』の歌が象徴するように、夏休みらしい非日常的な雰囲気が全編に渡って染みとおっている。やがてその奇妙さは単に夏休みというだけでなく、被爆地長崎という舞台設定にもよるものだということが判ってくる。黒澤監督の作品の中では地味な扱いを受ける作品だが、随所に巨匠の円熟した表現がつぎ込まれ、見ごたえは十分である。
本作のメッセージはいつになく明確で、『反原爆』である。この老婆の心を子供達に伝えたいという思いがみずみずしい表現の中から伝わってくる。
原爆について、リチャードギアに謝罪の言葉を述べさせる場面がある。これは悲しいことだが実際には起こり得ないことであり、事実アメリカのマスコミには激しくバッシングされた。黒澤監督がこの事態を予測していたかどうかはわからないが、日本人にとって原爆を考える際には決して見落としてはいけない現実を、やや場外乱闘気味ではあるが見事に表現していると私は解釈している。(場外乱闘なので、純粋に映画表現として見るとすこし評価が下がる)
本作の圧巻は、ラストである。映画のテーマとリンクするのかどうかはわからないが、映像、音楽、演技、タイミングなどすべてを完璧に操り、映画表現が昇華する実例を見せてくれる。なんとも奇妙な映画である。
