2007年7月アーカイブ

★★★★ かもめ食堂


舞台はフィンランドのヘルシンキ。サチエは小さな日本食堂『かもめ食堂』を開いている。お客はちっとも入らないが、コーヒーとシナモンロールに惹かれてすこしずつ常連さんが増えていき...。

小さな町の小さな店に、ちょっと変っているけれど気のいい人たちが集まる。特にサチエ(小林聡美)の人柄と笑顔が素敵で、こんな店が本当にあったらいいなと思わせる。なぜこんな町にひとりで店を開いたのかという説明はないし、主な要登場人物の来歴も描かれない。だからこそ観客も、気に入った店に集まった知らない者どうしのようにくつろいだ気持ちになれる。

キャスティングも光っている。小林聡美の魅力はもちろんだが、片桐はいりの不思議な存在感、もたいまさこの人とは別の時間を生きているような表情が、余分な台詞を必要とせずにゆったりとした空気感を出している。またこの2人に比べればフィンランド人のほうがぜんぜん普通っぽいので、結果として等しい親近感をもつことができる。

北欧を舞台とし、全編現地でロケをしたというが、まぎれもなく上質な邦画に仕上がっている。いろいろな要素があるが、この映画を成功させた一番のポイントはたぶん誰の目にも明らかであり、ちゃんと一番最後のシーンで再確認をさせてくれる。


事故で視力を失ったミチルは、線路沿いの家に一人で住んでいる。外出はほとんどせず、ときどき親友のカズエと買い物に行く程度。ある日目の前の駅で殺人事件があり、その日から家の中に何者かの気配を感じるようになる。

原作は乙一の傑作小説。ストーリーも映画向きだし見せ場も多く、料理しだいでは号泣も期待できる素材。原作ではミステリー作家の慎ましさで押さえ気味に作っていたが、映画ではぜひもっとウェットなバージョンが見たい。主演はフレッシュなCM演技で記憶に残る田中麗奈となれば、期待が膨らむ。

が...。なんとも残念な仕上がりであった。まずアキヒロの内向きな心の闇を描ききれないと判断したのか、中国系のハーフという設定を加えてごまかしている。おかげで日本語をまともにしゃべれない台湾のイケメン俳優が登場し、ほとんどの日本人男性観客は白けることになる。2人の演技もかなり低いレベルにとどまり、大切なシーンが流れてしまう。『お母さん!』の場面は泣かせてくれなければ、『ありがとう』の場面はもっとタメを作らなきゃ、なんでカズエに電話をする気になったのか判らせてくれなけりゃ、家を出る場面はもっとグッとさせてくれなくちゃだめでしょう。原作であればさらっとした描写でも脳内補間が有効に働くが、映画ではちゃんとしっかり作らないと感動は得られないのですよ。出演者、製作陣両方の力不足が目立つ作品であった。


主人公のジェライザ=ローズは10歳の女の子。母親がドラッグ中毒で死亡した日、同じくドラッグ中毒の父親に連れられて彼の故郷へ行き、草原の古家で暮らし始める。

不思議の国のアリスをモチーフとし、あたりそうなほどの毒気と幻想的な映像でまとめた不思議な作品。ローズはもぎ取った人形の頭を両手の指にさして一人遊びをし、ロボトミー手術をしたディケンズは列車を巨大なサメと信じて爆弾で退治しようとする。

この映画、死んだ父親を剥製にしてしまったり、10歳のローズに知恵遅れのディケンズを誘惑させたり、まじめに見ていると正気を失ってしまいそう。ローズ役のジョデル・フェルランドの妖艶な演技は見ものだが、普通の趣味の方にはあまりおすすめできる映画ではない。117分の尺は90分くらいのほうが見やすくてよかったかも。

★★★★★時をかける少女


紺野真琴。17歳。同級生の津田功介、間宮千昭と放課後にキャッチボールをして過ごすような元気な女の子。ある日ひょんなことでタイムリープの能力を手に入れた彼女は、美味しいものを何度も食べたり、試験でいい点をとったりと絶好調。人の恋にもおせっかいをするけれど、自分の恋からはつい逃げ続けてしまって...。

...見終わって、あまりの感動に何を書けばいいか判らない。ヒロインの一生懸命な顔が目に焼きついて、すぐには冷静に感想がかけない。これほどすごいアニメができたのなら、もう当分は他にアニメなんか作らなくてもいいんじゃないかと思ってしまうくらい。

ラストの部分。もう二度と会えないと判っていて告白をしないことにした千昭と、もう会えないから最後に聞きたい真琴。すれ違いのまま終わりそうになったとき、最後に千秋が『未来で待っているから』。真琴は『うん、すぐ行く。走って行く。』初めて知った初恋の大切さと切なさ。それ以上届かなくても思い続けること、覚えていることの意味。作品にしっかり寄り添い、これから先の真琴の生きていく時間を祝福するかのようなテーマ曲。これ以上ど真ん中を行くの青春賛歌はちょっと見たことがない。

ちょっと分解すると、時間旅行というテーマが本質としてもっている物語性を十二分に生かし、17歳の女の子という無敵のキャラクターを登用したのが本作であり、しっかり作れば傑作は約束されている。そこにいのちというテーマをかけて、もちろん淡い恋愛もからめて、選び抜いた最高の声優とスタッフ陣を集めてできたのが本作で、失礼ながらジブリの練習作とは比べるべくもない。しかし興行収入は1/30ということで、まったく世の中は理不尽なものである。

本作は学校生活のディティールを実に細かく描写しており、絵を見ているだけで自分の卒業アルバムを見るような感慨を与えられる。キャラクターも一般にもう受け入れられる絵作りで、主人公の表情描写がみずみずしい。声優はフレッシュな新人で、プロのような完璧さはないかわりに他作品のキャラが思い浮かんだりするようなこともなく、十分に個性的かつ魅力的だ。製作陣のプロフェッショナルな仕事が結実した正真正銘の名作と思う。

★★★★ ゲド戦記


作物が枯れ、家畜が倒れ、人心が乱れていく王国。王子アレンは父である王を襲い、宝剣を奪って出奔した。凶事の原因を探る旅を続けていた大賢人ハイタカは、野犬に襲われていたアレンを救い、共に旅を始める。アレンは町で人狩りに追われていた少女テルーを助ける。ハイタカはアレンを連れて昔馴染みのテナーの家を訪ねるが、そこにはかつて親に捨てられたテルーが共に住んでいた。

大々的な宣伝の下、ジブリの新しい時代を担うべく期待されて公開された本作だが、散々な酷評を受けた。原作者も『これは私の作品ではありません』と言ったという。それほど酷い作品なのかと思って見たが、見所がないわけではない。

絵と音楽はさすがにジブリで、レベルが高い。しかし何かひとつ魂がこもっていないというか、駿作品にあった一瞬で鳥肌を立たせる力が、まだ欠けていたように思う。ストーリーはなかり原作から離れているようだが、これが拙い。なぜそうなるのか、何を表しているのかが判らないことが多く、だから何?といわれてしまっても仕方がないだろう。原作に忠実であればそちらを当たれば理解できるが、中途半端な創作では底の浅さとしか見えない。テーマを掘り下げず表現だけを追及するなら、陳腐なハリウッド映画と変るところがない。

この映画最大の収穫はテルーの唄。この唄ひとつで映画の世界が間違いなく広がっている。一本のアニメ映画を一曲のテーマソングが救うというのも大げさな話だが、実際にそんな形になっていると思う。

食料問題とグローバル化

人間に限らず、生物の生存可能な個体数は環境によって決まる。それは植物にとっては日照量や降水量、地面の肥料分であり、草食動物にとっては餌となる草木の量、肉食動物にとっては餌となる動物の量である。

偶発的な要因である生物の数が増えすぎると、大抵は餌が不足する事態となり、結果としてその生物は個体数を大きく減らす。そういうことを繰り返すのは効率が悪いため、環境に適応して進化した生物は、その環境で最も適切と思われる数の子供を生むようになり、個体数はおおむね安定する。

人類も、狩猟採集生活をしている時代はこの生物学の法則にしたがって生きてきた。子供をたくさん生んでもそれを養うだけの獲物をとることができない。人口を増やしても獲物の数がそれに比例するわけではない。よって個体数は安定し、環境も過度に破壊されることなく安定をしていた。

しかし人類が農業や牧畜を始めた段階で、状況は変った。人口に比例して食料生産を増やすことができるようになり、人口を増やすことが可能になった。更に、農業や牧畜は余剰作物からの富を得ることができる。そのため人口を増やすことに対する動機は高まった。

しかし農業や牧畜は、環境に対する搾取である。以前は持続可能なライフサイクルを保っていた環境も、過度な開発により疲弊し、従前の生産を上げることができなくなっていく。これは近代社会でのみ起きる現象ではなく、部族単位での興亡は有史以前より繰り返していた。

いま世界で起きている環境問題も、基本原理は同様である。ただ大きく条件が異なるのが、科学技術の進歩により搾取の度合いが酷くなっていることと、グローバル化によって影響が全世界に波及をしてしまう点である。人が徒歩や馬で移動をしていた頃は、ある地域の失敗は他の地域にあまり深刻な影響を与えることがなかったが、今日ではそれが全世界に影響を与える。とくに生物として直接的な影響があるのが食料問題である。

私は中学生の頃から郵貯のボランティア貯金というものに加入し、微額ではあるが利子の一部を発展途上国の食料援助や医療援助へ寄付している。私の価値基準では、これは小さいけれども誇るべきことと思える。

ところが、ここで恐ろしい想像ができる。私達の寄付で命をつないだ人たちが成長し、いま新たに子供を多数もうけてさらに食糧不足を加速させてはいないかという点である。更に恐ろしいのが、それが将来めぐりにめぐって世界的な食料危機につながり、私達自身の食料不足につながらないかという点である。

もちろん私は飢えた人々に食料支援をすることは賛成だ。医療援助も大切だと思う。だがそれだけで満足してはいけないのである。それは対症療法であり、根治からはむしろ遠ざかる道だ。いま起きているのは地球規模の定員オーバーであり、人間を増やさない努力をしなければいけない。

もちろんその為の手段として、人道を外れた方法をとってはいけない。しかし有効な手を打てずにいると、その地域での人間の間で緊張が高まり、民族紛争、宗教戦争、犯罪あるいは疫病の形で、極めて非人道的な報いを受けることになるのである。


主人公アンは23歳。2人の娘と優しいだんなに囲まれ、トレーラーハウスで幸せに暮らしている。そんな彼女が癌で余命2ヶ月と診断され、死ぬまでにやりたいことをメモに書き上げる。

原題はmy life without meで、こちらのほうが映画の主題をよくあらわしている。自分が死んだ後のだんなの再婚相手を気にしたり、娘達が18歳になるまで毎年誕生日に届けるテープメッセージを残すなど、自分がやるべきことを考え、死んだ後への希望につなげることによって死への恐怖と戦う。

やりたいことのひとつに、他の男性とつきあい夢中にさせることというのがある。17歳で初めてキスをした男性と結婚した彼女にしてみれば、最後のわがまま、最後の冒険として気持ちがわからなくもないが、残される相手や、何も知らないだんなへの罪の意識はなかったろうか。

アンの周囲の人たちは、奇跡的というほど良い人たちばかりである。それはもちろん映画のわかりやすさ、見やすさにつながっているのだが、やや出来すぎという感もある。人は死ぬとき、もう少し何か思い残すことがあるのではないか?

アトピーとチョコレート


アトピーを発症して約5ヶ月。調子の波はあったものの全体としてはちっとも良くならない。ところがここ1週間、ステロイドも飲んでいないのにいつもよりも若干症状が落ち着いている。相変わらずひと目でそれとわかるがさがさ肌だし、皮は剥けて汚いし、夜はあまり寝られないが、皮膚の内部がやわらかく、それほど炎症が起きていない様子だ。

ここ1週間で変えたことといえば、毎日チョコレートを0.5~1枚食べていること(!!)もちろん普通のチョコレートではなく、明治製菓の『チョコレート効果カカオ99%』という製品だ。

これは砂糖などを一切加えていない純粋なチョコレートで、まったく甘くない。苦味とチョコレートのよい香りが特徴である。なんでそんなものを食べているかというと、ポリフェノールの効果に期待をしたからである。

体内に活性酸素が増えると、体を構成する物質を酸化(劣化)させ、癌や生活習慣病、老化につながる。アレルギーにも影響があるといわれている。ビタミンCなどの抗酸化物質を摂ると、体を酸化する代わりに抗酸化物質が酸化され、結果として体が守られるので効果がある。同様の抗酸化作用はお茶のカテキンやワインのポリフェノールなどにもあり、それぞれブームを引き起こした。

ビタミンC剤は毎日摂っているが、もっとたくさんの抗酸化物質を摂ってみたらどうだろうというのが今回のトライアルである。一般のチョコレートは砂糖が多量に含まれアトピーの天敵のようにいわれているが、最近発売された上記の製品は砂糖を使っていない。ポリフェノールの量は同量の一般の板チョコの4倍(1700mg/枚)という。むしろ症状が悪化するリスクもあったが、好奇心に惹かれて試すことにした。

このチョコレートを食べている理由のもうひとつは、嗜好品をほとんど食べられない今の食生活で数少ない楽しみとなるかもしれないということ。甘くないので普通のチョコレートよりもおいしいとはいえないが、慣れるとブラックのコーヒーのように楽しめる。

念のために断っておくと、いまの快調がこのチョコレートのおかげだとまだ断定できているわけではない。また他の人にはまったく別の作用をする可能性もある。この件については、今後もうすこし様子を見て、続報を出すつもりである。

★★★☆ UDON


ニューヨークでコメディアンを目指す松井香助(ユースケ・サンタマリア)は、夢破れて故郷の香川に戻る。実家では拓富(木場勝巳)が頑固一徹に製麺所を営んでいた。ある日香助は山中でガス欠となり、宮川恭子(小西真奈美)と出会うが、道に迷ってしまう。翌朝、疲れきったふたりが助けを求めた入った人家もうどん屋だった。香助は親友の鈴木庄介(トータス松本)の誘いで、ミニコミ誌で働き始めることになる。書店周りでヒントを得た香助は、うどん屋をテーマとした特集を作り始めるが…。

香川の素朴な町と人々を背景に、好感度の高いの役者達がハートウォーミングな物語を繰り広げ、安心して愉しめる娯楽映画となっている。しかし味のある演技ができるのが香助の姉を演じる鈴木京香くらいしかおらず、今ひとつ物語に厚みが出ていない。

またCGアニメ、キャプテンUDONの夢のくだりはちょっと大人が直視するには気恥ずかしいし、必要もない。亡くなった父拓富を安易に登場させてみたり、作中でウルフルズのヒット曲を本人が歌ってみたりと、安直な演出が目立つ。またちゃんと観客を笑わせるつもりなら、ブーム到来時の人の数が少ない。もっと津波のように押し寄せてほしい。画面を分割して多数の映像でブームを表現していたが、一つ一つの画面が小さくなった分インパクトが弱くなっている。作中何度も出てくる小さい丘の風景は何を象徴しているのか判りにくく、タイミングもよくない。

ストーリーは観客が望むとおりの予定調和となっており、このタイプの映画としては問題ない。その中で、型どおりでも良いからしっかりと観客を引き込んでいく技術が、この製作陣にはちょっと不足しているように思う。

しかしこの映画に出てくるうどんは本当に美味そうだ。うどんの魅力と出演陣の(素の)魅力、それでなんとか成り立っている映画といえる。

アマゾンのアフィリエイトをはじめた。

これでお小遣いを稼ごうという考えはあまりなく、稼げるとも思っていない。ではなぜアフィリエイトをはじめたかというと、単純に興味があったというのが1点。それから情報を提供するからには入手手段も提供するほうがよいだろうというのが1点。一番大きいのが、自分のサイト用にモノの写真をとったりする手間が省けるというものぐさ根性である。

アマゾンのアカウントを持っているので、アフィリエイトの登録はとても簡単。住所・氏名関係の入力と、Webサイトの簡単な紹介を書く程度で、正味5分といったところ。Webサイトへのリンク貼り付けも、インラインフレームを含むURLを本文内に埋め込むだけだ。

ひとつ気に入らないのが、表示されるリンクが文字だけのものと写真+文字の2種類しかないこと。Webサイトの雰囲気を崩さないためには写真だけのリンクが欲しい。もちろんアマゾンとしては、写真だけのリンクだと想定外の目的に使われる可能性があると危惧をするのだろうが。

しかし実際に登録してみて、アマゾンはなんて商売上手なんだろうと改めて思った。だって、アフィリエイトを登録した人はかなり高い確率でアマゾンのお得意様になるんじゃないか?商品の発送も早く、ユーザによる商品レビュー・紹介も充実していて、アマゾンだけで満足のいく買い物ができてしまうことが多い。恐るべし。

生物は突然変異と選択淘汰により環境に適応し、今のように多様で驚くほど機能的な身体や行動を身に付けてきた。適者生存、弱肉強食の繰り返しにより、生物は進化をしてきたのである。

そこでいつも、事ある毎に気になって仕方がないことがある。人類はその社会を発展させてくるに従い、生存権や基本的人権という概念を生み出した。また科学技術を発達させ、猛獣と戦い、疫病と闘い、飢えや寒さと戦い、総体として勝利を収めてきた。そうして我々が先進国と呼ばれる地域で安心して暮らしている今、我々には進化のメカニズムは作用しているのだろうか。

先進国では、生まれた赤ん坊のほとんどは成長する。生物的に優れた(頭が良い、病気に強い、力が強いなど)個体が多くの子を残せるという傾向があるわけでもおそらくない。逆に、百年前なら生き延びることができなかったに違いない個体が(幸いなことに)医療技術のおかげで生き延び、成人して子を残せることもある。

誤解のないように言っておくと、私は何も生物としての進化を続けるために、劣った部分をもつ個体を淘汰するべきだというので決してはない。人類の将来を進化という面で憂慮しているわけでもない。核、地球環境、もっと憂慮すべき要因はいくらでもある。

ただ将来の人類は、私達や私達の祖先よりもずっと手足の力が弱く、病気がちで、目や歯や嗅覚や循環器や消化器が悪い人が多くなり、その時代の科学技術に依存しながら生きていくんだろうな、と思うのである。

そうして、いずれはエネルギー問題によって我々が頼っている科学技術の多くは使えなくなると思われる。そうなったとき、長い間サボった分だけ過酷な選択淘汰が、人類を襲うことになるのだろう。

参議院議員選挙の整理券が来た。一貫してアンチ自民ではあるものの、ふだん特定の支持政党を持たずなにかと投票率が低い私ではあるが、今回はちゃんと投票しようと思う。

今の安倍内閣ほどひどい政権は、物心ついてから記憶にない。美しい国などという抽象的かつ独善的なスローガンの下、教育三法、国民投票法を強行採決する。対中国、韓国のみならずアメリカに対しても関係をひどく悪化させ、耐震偽装業者との癒着、生む機械発言、ナントカ還元水問題、原爆しょうがない発言問題など足元にも問題が頻発し、ろくに収拾もできない。社会保険庁の中に浮いた年金問題は直接的には安倍内閣の責任ではないが、長年自民党が安定的に政権を持つ中で、緊張感と正しいプロ意識のない官僚が漫然と仕事を続けてきた結果だと思う。

もっとも恐ろしいのは、自民党安倍内閣は日本を、再び戦争のできる国にしようとしていることである。私自身の考えとしては、成熟した国家は自らを守る力(外交力、経済力、そして武力)を持つ必要があると思っているが、愛国教育と憲法九条改正を同時に言う安倍晋三が目指すところは成熟ではなく戦前帝国主義への回帰と見える。

もしこのような状態で自民が勝つような(十分な負けを喫さない)ことがあれば、日本人には民主主義は馴染まない(使いこなせない)ということなのだと思う。


アイルランドの対イギリス独立戦争を描いた作品。医者を志すデミアン、兄テディや仲間達を中心とした義勇兵の戦いを描きながら、戦争とは何かを強く問いかける。

1920年という時代もあり、武器や戦い方は実にシンプル。それだけに生身の人間がいやおうなく殺しあう現実を描ききっている。終盤、デミアンとテディは信念の違いから袂を分かち、やがて銃で殺しあうことになる。かつての仲間の名を叫びながら撃ち合う姿は商業ハリウッド映画では到底伝えられないメッセージを観客に届ける。

ラストは救いのない悲劇で幕を閉じるが、この作品の主題にふさわしい結末といえる。娯楽的要素は全くないが、必見の作品。

返す返すも私はCisco屋なのだが、仕事の都合でアライドテレシスのルータAR550Sを使ってBフレッツに接続しなければいけなくなってしまった。触ったことがないのでメーカーから借用し、接続検証をした。こちらがそのコンフィグ。

接続検証に使った対向(網)側のCiscoコンフィグは、YAMAHAの時とかわらずこちら

★★★★ ゆれる


東京で写真家として暮らす猛(オダギリジョー)は、母の一周忌に帰郷する。実家のガソリンスタンドでは、兄の稔(香川照之)とともに幼なじみの川端智恵子(真木よう子)が働いていた。翌日、猛は稔、恵子とともに近くの渓谷に遊びに行くが、稔とともに吊橋を渡っていた智恵子が、転落して死んでしまう。故意か事故か、裁判で真相が争われることになるが、稔も、猛も心の中に闇を抱えていた。

オダギリジョー、香川照之の名演が光る。本作はストーリーでなくふたりの兄弟の関係性に焦点を当てた作品であり、この絶妙なキャスティングがなければ成立しなかったかもしれない。

真相は最後になって明らかにされる。観客はそこで猛とともに心を閉ざしたくなるが、その想いはラストシーンで溢れ出す。最後の数秒のワンショットは映画のシーンとしては古典的ではあるが、この映画にとって必要なあらゆる救いがこめられており、印象深い。

それにしてもオダギリジョーの魅力は底知れない。これほどの俳優であるからこそ、それを生かすため監督や競演者の力量が問われてしまうが、本作は実に高いレベルでそれが結実している。邦画の愉しみを十分に感じさせてくれる作品である。

七原秋也と中川典子が脱出して3年、七原はすべての大人達に宣戦布告をし、東京都庁爆破を敢行する。それに対し政府は、新たに拉致をした中学生のクラスに武装させ、七原率いるテロリストグループ『ワイルドセブン』と交戦させる。彼らは完全な装備を与えられるが、男女2人で一組となり片方が死亡もしくは逃亡した場合は他方も爆殺される。作戦期間は3日間。3日以内に七原を殺害できなかった場合は、全員が死亡することになる。

前作のラストを見たとき、この続きとして七原達の復讐劇を見たいと思った。しかし本作では七原達の攻撃はあまり描かれず、前半はあらたに拉致されたクラスの物語が主となる。この部分ストーリーとしては省くことができないのかもしれないが既視感がある。また前作ほどの描写の丁寧さも、役者の個性もないた。死に方も短い尺で手っ取り早く処理をししまっており、前作との対照が鮮明である。

そのかわり本作は、前作と異なりきわめて現実社会に対するメッセージ性が高い。本シリーズのヒーローである七原はテロリストを自認し、無差別大量虐殺テロを実行した。東京都庁爆破の映像は明らかに911を想起させることを意図しており、七原はアルカイダを連想させる存在として描かれている。七原自身、戦い続ける事に悩みながらも、戦い続けなければいけない理由をもつ。七原にシンパシーを持つ視聴者にとって、この戦いを否定することは難しい。そしてメディアを通じて世界中に蜂起を訴える姿は、身震いがするほど格好いい。またややコミカルにではあるが、アメリカの全世界覇権戦略を批判し、無批判に追従する政府を批判している。

BR法の存在する現実離れをした設定の下であるから、作品中で訴えられる正義は現実社会での正義とは決して同一では。それでも深作健太監督はこの映画に娯楽以上のものを込めたかったのだと思う。

本作は深作欣也監督の製作した前作とくらべて、興行的にも批評家の反応的にも芳しくなかったらしい。前半が前作の劣化コピーにしか見えなかった点でそれは仕方ない部分もあるし、作品作りの丁寧さも劣る。たとえばラスト近く、七原と青井拓馬が脱出するシーンは名作『明日に向かって撃て』の場面を借りているが、ここで観客の意識を他の映画に飛ばすのはいかがなものかと思う。

とはいえ僕としては、本作の方がより感情を移入する理由があり、見ごたえを感じた。

Movable TypeとSE Linux

Movable Typeでプラグインを使おうと、メイン・メニュー→システム・メニュー→プラグインと辿るが
『ブログ別に設定するプラグインは見つかりません。』

という表示がでて埒も明かない。こういう場合はSE Linuxが悪さをしていることが多いので

[root@www ~]#setenforce 0

として再度やってみると、ちゃんとプラグインの一覧が出る。やはりSE Linuxが悪いらしい。

/var/log/audit/audit.logには以下のようなログが出ていて、mt.cgがpluginsディレクトリを読めていないことがわかる。

type=AVC msg=audit(1183870655.847:4287): avc: denied { read } for pid=20284 comm="mt.cgi" name="plugins" dev=dm-0 ino=1215586 scontext=system_u:system_r:httpd_sys_script_t:s0 tcontext=system_u:object_r:httpd_sys_script_exec_t:s0 tclass=dir type=SYSCALL msg=audit(1183870655.847:4287): arch=40000003 syscall=5 success=no exit=-13 a0=93fdd18 a1=18800 a2=80 a3=94062e8 items=0 ppid=24108 pid=20284 auid=4294967295 uid=48 gid=48 euid=48 suid=48 fsuid=48 egid=48 sgid=48 fsgid=48 tty=(none) comm="mt.cgi" exe="/usr/bin/perl" subj=system_u:system_r:httpd_sys_script_t:s0 key=(null)

ここで上記のアクセスを許可するポリシーを書こうと思っていろいろ調べたのだが、参考図書やWeb上には/etc/selinux/targeted/src/○×.teを書き換える云々のと書いてあるが、このファイルが見つからず
yum install selinux-policy-sourceをやってみてもそんなパッケージはないと言われる。

いろいろやった後、man audit2allowを見ると、下記のコマンドで拒否されたアクセスを軒並み許可できるようなのでやってみた。

[root@www ~]# cat /var/log/audit/audit.log | audit2allow -M local
[root@www ~]# semodule -i local.pp

結果、ちゃんとプラグインの一覧が表示された。

[root@www ~]# semodule -l
とやるとインストールされているモジュールの一覧が出て、ちゃんとlocalもあった。

【懸念事項1】この方法だと何でもかんでも許可してしまうのでセキュリティが甘くなる。ちゃんと必要なポリシーを精査する方法、複数のポリシーを管理する方法はいずれ調べよう。

【懸念事項2】再起動しても大丈夫か?いずれちゃんと調べよう。

ネットワーク屋で疎通試験、障害試験をする人は、ダウンタイムを計測するのにExpingを使っている人が多いと思う。複数のあて先を設定できたり、カラーアイコンで状態がわかったり、ログを保存できたりと実に便利だ。

しかし障害試験などでダウンタイム測りたい場合は、あまり便利ではない。別途ストップウォッチソフトで測るか、ExPingに表示されるタイムスタンプを自分で引き算することになる。これは大量の試験をするときには結構大変だし、効率がわるい。

そこで、非常に簡単なスクリプトだが特定のあて先にpingをうち、アップタイム、ダウンタイムを表示するものを作った。これまで何回か使ったが、特に問題なく使えるようだ。

pinger.pl

Windows+Cygwin、Windows+Active Perl、Linuxで動いている。特にパッケージの追加は必要ないが、Linuxではrootで使用する必要がある。

使い方はこんなかんじ。

[root@test ishii]# /usr/bin/perl pinger.pl www.grandarbre.net
www.grandarbre.net is up for 10  seconds
www.grandarbre.net is down for 5  seconds             ←ケーブルを抜いたのでダウン
www.grandarbre.net is up for 10  seconds               ←ケーブルを戻したのでアップ

先週買ったハニービー。もうすこし安定性をあげたいと思い、おもりを付けたり垂直尾翼の面積を増やしたり、カナード翼を付けてみたりといろいろいじったが、そもそもの私の工作精度が低いせいかあまりよい結果が出ない。

いろいろ試してみると、以下の指針が得られた。


  • 垂直尾翼は大きいほどよい

  • パワーに余裕がないため、垂直尾翼を大きくしすぎると上昇しなくなる


そこで(ありがちな展開ではあるが)、思い切った軽量化を図るために本体のカバーをはずしてみた。実は裸のままでもハニービーはけっこう飛ぶ。もちろん左右に暴れるが、もともとのバランスがよいためひっくり返ったりはしない。むしろ軽くなった分軽快になる。

そしてそこに巨大な垂直尾翼(というか垂直安定版)を付ける。材質はプラ包装の切れ端とセロテープ...。アロンアルファで止めてある。たしかに見た目は悪く、ハニービーの3500円というのは格安だと思うが、もしこのスタイルで売るとなると高く感じてしまうかも。しかも着陸時に自立しない...。

しかしこれが、とてもよく飛ぶのである。ゆっくりと上昇させて高度を安定させると、2~3メートルの輪を描きながらゆっくりと旋回飛行をする。軽いので出力に余裕があり、飛行時間も長くなった気がする。デフォルトでこのくらい飛べばずっと敷居が低くなると思う。

一日かけていじりつくし、かなり満足をしたが、冷静になって考えるととほとんど壊してしまった。スペアの機体だけを2000円くらいで発売してくれないかなぁ。

【追記】リビングで飛ばしていて、2回ほど海水魚水槽に落としてしまった。一巻の終わりを覚悟したが、真水で洗って乾かしたら復活した。

私はCisco屋なのだが、仕事の都合でYAMAHAのルータRTX1000を使ってBフレッツに接続しなければいけなくなってしまった。こちらがそのコンフィグ。

これだけでは世の中に数百あるサイトと変わらないので、こちらが接続検証に使った対向(網)側のCiscoコンフィグ。なおIOSの最新バージョンでは設定の方法が少し違う。

ホームサーバ運用開始

独自ドメイン取得を取得し、Linuxサーバを立ち上げ、ようやく運用を開始した。
むかし作っていたホームページもローカルに引っ越した。

http://www.grandarbre.net/old/index.html

環境は以下のとおり。
◆アクセス回線:Bフレッツマンションタイプ
◆BBルータ:ATerm WR6650S
◆サーバ:旧いAT機(Celeron500MHz,256MB,20GB)
◆OS:Fedora7
せっかくの自前サーバなので、これからいろいろ遊んでいこう。

アトピーを発症してから4ヶ月近くたった。アトピー治療といえばステロイドの問題がついて回るので、私のステロイドとの付き合いをまとめておきたい。

まず、私は外用のステロイド剤が効きにくいようだ。顔用に処方されたキンダベート(mild)、体用に処方されたアンテベート(very strong)ともに、よく言われるような『塗った翌日には嘘のように肌がつるりとしている』というような経験はなく、それどころか塗っても塗らなくてもあんまり変らないなという感覚がある。幼い頃、やはりアトピーにかかったことがありステロイド軟膏を使っていた。正確な年齢や期間は覚えていないが、当時も効かない薬だなと思った記憶がある。(幼い頃に使った影響で、大人になった今ステロイドの効きが悪い、という可能性はあると思う)

反面、ステロイド内服薬は効く。効きが良いほうか悪いほうかはわからないが、リンデロン錠0.5mgを1/2に割ったものを1日1回飲めば、2~3日後くらいには効果が出てだいぶ症状が軽くなる。しかしそのまま飲み続けても症状が完全によくなることはない。中止してもひどいリバウンドが急に来ることはなく、一週間くらいかけてもとの(悪い)状態に戻っていく。

最初に皮膚科を受診したときは、上記のステロイド外用薬とアレロック錠、セレスタミン錠を処方された。その後内服薬としてゼスラン錠、ポララミン錠などを試すが一向に効果がなく、3週間後にリンデロン錠0.5mgが処方された。これはすぐに効果が出たが、医者が期待したほどには炎症が消えきらず、約1ヶ月続けて服用した。だがステロイドの問題についてはWebなどで調べて知っていたし、医者もなるべく止めたがっていたので、連用1ヶ月を機にリンデロンの内服をやめた。またちっとも効いていないと感じていたステロイド外用薬も止め、プロペト(白色ワセリンの保湿剤)、紫雲膏などに切り替えた。

その後、リバウンドというよりは徐々に悪いときの状態に戻るような形で推移した。症状に耐えかねて1回、また社交上の理由で1回、リンデロンの1/2錠を3日程度服用したことがあるが、どちらも3日目くらいに効き始め、止めてからも数日は落ち着いた状態を保ち、やがて元に戻るという感じだった。世の中の(Web上の)情報では、ステロイドを使えばてきめんに効くが止めると酷いリバウンドが返ってくるといわれるが、私の場合は必ずしもそうではない。単に効き目が弱いのでリバウンドも弱いのかもしれない。

いずれにせよステロイドは症状を一時的に抑えるだけであり、その間に生活改善そのほかでアトピーの要因を減らしておかないと、結局は元に戻ってしまう。しかしステロイド使用中は症状が隠されているため、自分にとって何がよいのか、何が悪いのかを試行錯誤で調べることができない。その意味でステロイドで症状を抑えているうちは治療が始まっているとは言えず、また知らず知らずのうちに借金を増やしている可能性もある。

またとくにWeb上では、ステロイドを使ったからこそ症状が悪化して難治化したという主張も多く見られる。皮膚が薄くなり弱くなるという副作用は私も経験したし、ステロイドがIgE値を上げてアレルギー症状を悪化させるという話もある。内科的に注意を要する副作用もある。体内で劣化して変性コレステロールとして蓄積され、長期的に害をなすという話もある。なにしろWeb上の情報なのですべてを信じるわけには行かないが、うなずける話も多い。

結論としては、ステロイドは初期に症状を抑えるのには有効だが、長期的に使用するべきものではないと思う。効いていても効かなくても、ある時期を越えたら使用を止めて、じっくりと治療に取り組む必要がある。ステロイドを強くするなどというのは論外である。ただし生活上ここ一番という大切なときにステロイドで一時的に症状を抑えることは反対しないし、そのオプションは持っていたほうがいい。理想を言えば、どのくらい飲めばどのくらいよくなり、そしてリバウンドはどのくらいかを知っておけば、ステロイドを恐れる必要もないだろう。


松本大洋による同名の漫画をアニメ化した作品。漫画連載時に結構好きだったので、映画がレンタル解禁されてすぐに観た。

シロ、クロという名の親のいない子供が、周囲の開発から取り残された下町で暮らしている。彼らは大人になつかず、廃車の家に住み、カツアゲやスリなどの犯罪行為で生活を成り立たせている。そこへある日、子供向けのレジャーランド経営を生業とする海外系のマフィアが進出して来て、目障りなシロ、クロを退治しようと三人の殺し屋を放つ...。

本作は原作のストーリーをほとんど忠実に辿っている。また原作の絵がもつ独特の世界観を努めて再現していて、製作者の原作に対する思い入れが強く感じられる。しかし本作はひとつの重要な要素により、単なる人気漫画の映画化という枠を超えてしまったと感じる。

それは声優陣、とくにシロ役の蒼井優の好演による。原作では何気なく話されるいくつかの言葉が、蒼井優によってとても大切な言葉になっている。そのことにより、原作と比べて本作ではシロの存在感は圧倒的になっている。作品の中での存在感ではなく、作品そのものの存在感を大きく押し拡げているのである。

原作が発表されてから十余年経ち、当時の読者なら誰の中でもシロ、クロのつながりや宝町の景色に対してノスタルジックでセンチメンタルな美化が起こっている。おそらく映画制作者についてもこれは同じで、この作品はそういう期待を満足させることをターゲットに演出されるているとともに、原作に対する強いオマージュともなっている。そしてそれは成功していると思う。

絵作りに関してはおおむね質が高いが、作品中でさまざまな表現を試しているために一貫性がない。脚本、構成に関しては、限られた尺の中で原作を生かしたいという苦労の結果なのだろうが、大切な場面が省略されていたり、原作のある場面を別の文脈で無理やり入れたりしてやや不満が残る。特に終盤のイタチとの対峙で、クロがシロを信じる理由を説明する大切な台詞が抜けているし、最後になぜシロとクロが海に行ったのかの説明がない、などは残念な要素になるだろう。

それにしても、シロとクロの結びつきの強さをあらわすシロのこの台詞。

『でもクロの無い所のネジ、シロがもってた。シロがみんな持ってた。』

これは漫画史上(および映画史上)に残る素敵な言葉だと思う。