人間に限らず、生物の生存可能な個体数は環境によって決まる。それは植物にとっては日照量や降水量、地面の肥料分であり、草食動物にとっては餌となる草木の量、肉食動物にとっては餌となる動物の量である。
偶発的な要因である生物の数が増えすぎると、大抵は餌が不足する事態となり、結果としてその生物は個体数を大きく減らす。そういうことを繰り返すのは効率が悪いため、環境に適応して進化した生物は、その環境で最も適切と思われる数の子供を生むようになり、個体数はおおむね安定する。
人類も、狩猟採集生活をしている時代はこの生物学の法則にしたがって生きてきた。子供をたくさん生んでもそれを養うだけの獲物をとることができない。人口を増やしても獲物の数がそれに比例するわけではない。よって個体数は安定し、環境も過度に破壊されることなく安定をしていた。
しかし人類が農業や牧畜を始めた段階で、状況は変った。人口に比例して食料生産を増やすことができるようになり、人口を増やすことが可能になった。更に、農業や牧畜は余剰作物からの富を得ることができる。そのため人口を増やすことに対する動機は高まった。
しかし農業や牧畜は、環境に対する搾取である。以前は持続可能なライフサイクルを保っていた環境も、過度な開発により疲弊し、従前の生産を上げることができなくなっていく。これは近代社会でのみ起きる現象ではなく、部族単位での興亡は有史以前より繰り返していた。
いま世界で起きている環境問題も、基本原理は同様である。ただ大きく条件が異なるのが、科学技術の進歩により搾取の度合いが酷くなっていることと、グローバル化によって影響が全世界に波及をしてしまう点である。人が徒歩や馬で移動をしていた頃は、ある地域の失敗は他の地域にあまり深刻な影響を与えることがなかったが、今日ではそれが全世界に影響を与える。とくに生物として直接的な影響があるのが食料問題である。
私は中学生の頃から郵貯のボランティア貯金というものに加入し、微額ではあるが利子の一部を発展途上国の食料援助や医療援助へ寄付している。私の価値基準では、これは小さいけれども誇るべきことと思える。
ところが、ここで恐ろしい想像ができる。私達の寄付で命をつないだ人たちが成長し、いま新たに子供を多数もうけてさらに食糧不足を加速させてはいないかという点である。更に恐ろしいのが、それが将来めぐりにめぐって世界的な食料危機につながり、私達自身の食料不足につながらないかという点である。
もちろん私は飢えた人々に食料支援をすることは賛成だ。医療援助も大切だと思う。だがそれだけで満足してはいけないのである。それは対症療法であり、根治からはむしろ遠ざかる道だ。いま起きているのは地球規模の定員オーバーであり、人間を増やさない努力をしなければいけない。
もちろんその為の手段として、人道を外れた方法をとってはいけない。しかし有効な手を打てずにいると、その地域での人間の間で緊張が高まり、民族紛争、宗教戦争、犯罪あるいは疫病の形で、極めて非人道的な報いを受けることになるのである。
