ガソリンの高騰

ガソリン価格の上昇が止まらない。ふだんガソリンはPPGへ行く片道50kmの途中でいちばん安い店を選んでいれるのだが、最近は170円を大きく下回らなくなった。趣味とはいえ車とPPGで毎週20リットルを消費する身としてはきつい。4月にガソリン税の暫定税率が下がったときは125円くらいだったのに、ゴールデンウィークにメキシコへ行って帰ってきたら案の定税金が戻っていた。さらに原油の高騰でガソリン価格は騰がり、天井知らずの様相を見せている。この調子では25円/リットルのガソリン税が相対的に霞んでしまうようだ。

僕など趣味で困っている人はいいとしても、原油価格の高騰で世界中の人が困っている。運送業、石油化学産業は直接の影響を受けるし、ディーゼルで船を動かす漁業、温室のために重油を燃やす農業もコスト増となる。その結果として製品価格も騰がり、生活者を直撃する。それだけでなく、石油価格上昇がバイオエタノール燃料の開発を促進し、穀物価格の上昇にも関連している。

原油の採掘コストは、1バレル10ドルから20ドルといわれている。WTIの先物価格はいま100ドルを大きく越えていて、いずれ200ドルを付けるといわれている。それではこの莫大な差額で誰が儲けているのかというと、もちろん産油国、それから原油先物の大掛かりな投機合戦を仕掛けたアメリカを中心とする巨大資本だという。原油高騰は中国などの需要増大によるものだという説明も聞こえるが、実需であれ投機であれ価格高騰の恩恵は売る方にもたらされる。しかも石油の国際価格は二重価格になっているらしく、産油国自身はもちろん、その友好国など政治的に決められた市場価格よりもはるかに安い価格で原油を購入できるのだという。つまり原油価格の高騰は、特定の相手に対して設定されたボッタクリ価格ということだ。以上は愛読している田中宇のニュースサイトの受け売りである。

ここで冒頭のガソリン税の話に戻る。53.8円/リットルもの税金をとっている日本政府は、これまでこれを道路特定財源として道路建設だけに使ってきた。政府自民党はガソリン税はCO2削減のために必要であるといい、にもかかわらずガソリン税をガソリンを燃やしてCO2を排出する車が走る道路整備に使うというのだから論理矛盾は明らかである。なお、マッサージチェアやお抱え旅行などの不正な使途が問題になっているが、これは議論以前の実質的な横領であり、また別の問題である。

僕はもともと生活者の一人としてガソリン税の暫定税率廃止を願っていたが、これほど原油価格が上昇してしまうと考えも変わってくる。今後、原油が1バレル100ドルを下回ることはないだろうと言われると、いかにしてこの現実に立ち向かわなければいけないかということを考えざるを得ないのだ。世の中の商品の価格は需給曲線で決まると教わってきたが、これは需要と供給に十分な価格弾力性がある場合に限られる。つまり供給者にも健全な競争があって初めて市場原理による価格の安定が実現されるのであって、少数の供給者がカルテルを結べるような市場では、価格の支配は容易に起こりうる。しかもそれが世界を動かす文字通りのエネルギーである原油である場合は、価格の支配は間接的な世界支配と言ってよい。産油国は全世界から、自らが自由に決めただけの額の税金を徴収できるようなものなのである。

日本は鉱工業資源に乏しく、かつて欧米列強からの資源封鎖を受けて自滅的な太平洋戦争へと突入した。戦後はアメリカの庇護のもと、持ち前の勤勉さと器用さを生かして経済成長を遂げたが、未だ『原材料を輸入して生産した工業製品を輸出する』モデルを脱していない。原材料と最終製品の差額の部分で国民生活を成り立たせ、つまりは必要な資源を輸入していることになるのだが、中国や韓国をはじめとする新興国の躍進により、そのとりしろは減りつづけている。やがて太平洋戦争開戦前夜のように追い詰められた状況に再び置かれるのではないかと僕は危惧している。

ガソリン税の53.8円/リットルを一般財源化する案が出ており、道路族(賊)の反対はあるものの国民からの道路行政への批判もあってその方向は続くと考えられる。僕はガソリン税が道路賊の懐に転がり込むことには憤りを感じるが、ガソリン税をたとえば医療や年金などの社会福祉関係とおなじ一般会計に組み込むのは筋が違うと思う。ガソリンに一般の物資とは別の高い税率をかける以上は明確な根拠が必要であり、それは僕は『脱原油』のための投資であるべきだと思う。国に53.8円/リットルの税金をとられている以上に、産油国には90パーセント以上の暴利を貪られているのであり、前者は曲がりなりにも国内経済のなかで還流される金であるのに対して、後者は産油国の天文学的な資産に組み込まれたままほとんど戻っては来ない金なのだ。

原油が高騰し、文字通り『世界が変わろうと』しているのに、旧態依然とした道路建設論が議論を呼ぶばかりで、次の100年をどのようなエネルギーで国を動かしていくのかという議論が聞こえてこない。しかし民間レベルでは、日本はハイブリッド自動車の技術で世界のトップを行くし、太陽電池の技術でもなんとか世界一を保っている。他方、数多くの規制に守られたエネルギー産業では、風力や潮力発電ではヨーロッパに及ばず、原子力では官僚的な硬直に根ざした問題が数多く発生している。僕の意見はこうである。ガソリンその他のエネルギーにかける税金は、道路建設ではなく代替エネルギーの開発と普及に費やされるべきである。国民生活の血液であるエネルギーの価格が外国に握られている以上、このままではGNPの多くの部分を産油国に吸い取られる。『エネルギー植民地』へ進むか、『エネルギー自給国』の道を探すか、この選択はまったなしである。

ガソリン税の使途については、受益者負担の観点から制限をかけるべきとの議論も聞こえてくる。しかし、税金とはそもそも受益者負担の原則に基づくものではない。受益者負担でうまく行く分野であれば、はじめから民間が執り行った方がうまく行くのだ。日本は鉱産資源に乏しい。しかしまだ技術レベル、教育レベルはなんとか国際競争力を持てる程度には高いと思う。国際政治や国際経済の場は食うか食われるかの熾烈な戦いである。いま国民が実際に感じている痛み、これからも続くと思われる重い負担をどれだけ将来のための先行投資に使うのか、それこそに議論を注ぐべきだと僕は思うのである。