プレゼンテーションは配布資料なしでやろう

仕事がら年に何回か客先でプレゼンテーションをすることがある。たいていはシステム提案で、数人から十数人のお客様の前で徹夜で作った資料をパワーポイントで説明する。そうすると偉い人はたいてい僕の話は聞かずにパラパラと資料をめくって先をみて、一通り読み終えると寝てしまう。担当の方はがんばって聞いてくれるが、やはり眼は手元の資料に落ちていて退屈そう。若干の誇張はあるがそんな感じになってしまうことが多い。読めば済む話を延々と聞かされるのは確かに苦痛だろう。

プレゼンは時間が限られているので、数十枚~数百枚の提案書をすべて説明するわけには行かない。そのためプレゼン用のダイジェスト版をつくり、それで説明をすることになる。もちろん正式なフルセットの提案書も持参して配布する。そうすると手元には抜粋版、正式版の二つの資料があり、ますますよそ見に拍車がかかる。

プレゼンをしているほうは、実はその方が楽だったりする。しゃべりなれていないので凝視されるよりは視線が外れているほうがありがたい。皆が手元の文字を読んでくれていれば、プレゼンターも音読をしていれば事が済むような気になってくる。単に音読するだけなら準備も練習も経験も要らない。

社内でも社外でも散見される風景だが、果たしてそれはプレゼンといえるのだろうか。よくてレビュー、最悪の場合は誤字探しの意味しかなさない時間となっているのではなかろうか。そしてお客様のパフォーマンスも給料も高い上級職の方の時間を、眠気と戦う不毛な時間に変えてしまっているのではないだろうか。

そこでここはひとつ、思い切ってプレゼンのスライドは資料として配布しないことを検討しよう。もちろん正式な提案書は持参を義務付けられているのでちゃんと配布する。ページを指して詳細な説明が必要な部分もあるかもしれない。しかしエグゼクティブサマリに相当する部分や、提案で本当に訴求したい部分は、紙の資料を離れて自分のスライド画面と顔を見てもらえるようにするべきだ。

資料を配らないのにはよそ見防止以外の意味もある。人は手元に資料があると注意深く話を聞かなくなる。聞き漏らしても大切なことは資料に書いてあるはずだと安心してしまうのだ。注意深く聞かないのだからメッセージが(たとえ書いてあったとしても)ちゃんと伝わるかどうかはおぼつかない。

プレゼン用のスライドは、思い切って説明を削ろう。それによって読み上げるだけではプレゼンが成立しなくなる。そのかわりに慣れるまでは、話したいことを全部箇条書きで書いた台本を作ろう。そらで話ができれば最高だが、台本を読んでいるだけでも(多少の抑揚や間取りは必要だが)十分にメッセージは伝えられる。提案書の文語調の文章を音読するのとは段違いだ。何度か台本を読みながらプレゼンの練習をすれば、自分の言葉として伝えられるようになる。

2001年にEMCのEBC (Executive Briefing Center)に行ったとき、最高レベルのプレゼンを体験した。ちなみに周りはEMCの見込みユーザのExectiveばかりが10人ほどいて、ペーペーは入社4年目の僕と先輩だけという恐ろしい状況。アテンドしてくれたEMCの社員が僕たちの元上司だったので、十分に楽しませ&勉強させて頂いた。

その女性のプレゼンターの方はEMCでも著名な方らしいが、まずパワーポイントを使わなかった。ゲストに向かって身振り手振りでメッセージを伝える。英語が苦手な僕でもわかるように、ゆっくりとした明瞭な英語で、しかも力強く、とても魅力的な笑顔とともに話しかけてくる。資料が必要なときは懐かしのOHPをつけて説明するが、説明が終わるとすぐにOHPは消す。だれが主役かは明らかだ。図やキーワードは壁に取り付けられためくり取り式の模造紙に書く。これが壁一面に並んでいて、歩きながら話をしていてキーワードを口にすると、そのすぐ横の紙に書き込む。その仕草が実に格好いい。何を聞いたのかは忘れたが(...)、忘れられないプレゼンだった。

もちろんプレゼンのやり方の正解はひとつではない。プレゼンの本はたくさん出ていて、それぞれに工夫を凝らした方法が紹介されている。ただその中でも共通する最も基本的なポイントは、プレゼンターが主役だということだ。配布資料やスライド画面に喰われてはいけない。逆に言うとプレゼンターが自分自身でメッセージを伝えられるだけの準備と練習をしなければいけないということ。資料を配らないというのは、その覚悟を示す最初のステップになるはずだ。