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★★★ローレライ

本作は2005年に『亡国のイージス』とともに立て続けに映画化され、原作者の福井晴敏は一躍時の人となった。そのちょっと前に福井の小説『Twelve Y. O.』、『川の深さは』、『亡国のイージス』、そして本作の原作である『終戦のローレライ』を立て続けに読んだ。読みやすくて結構おもしろいのだが、その倒錯した(としか言いようのない)世界観とワンパターンの構成が後から胸焼けとなって襲ってきて、それ以来福井の作品からは離れていた。

★★ フライトプラン

こういう見る前から駄目と分かっている映画は自分で借りたりはしない。テレビでやっていたので見てしまったのだが、時間の無駄だった。

映画の演出とはいえ、気が狂ったような女を直視するのは辛いものだ。飛行機の中で行方不明になった子供を探すために大騒ぎをし、挙句に立ち入り制限区域に忍び込む。専門知識を使って機器を誤動作させて酸素マスクを出し、機内を停電させ、緊急着陸に追いやる。いかに子供のためとはいえ許される行為では決してない。ヒロインをこんな狂人然として描いてしまうハリウッドはやはりどうかしている。もちろん最終的には彼女の言っていることが正しいのだが、こんな神経に触る描きかたはないだろう。

ストーリーにも必然性がまるでない。話を盛り上げるための不自然でご都合主義なシナリオは見ていて頭痛がする。過去最低タイの★★だが、これ以下というのはちょっと想像できないな。時間を無駄にした腹いせに、ツッコミどころを列記してみよう。

  • 保安官なら国際線に拳銃を持ち込めるのか?
  • 死体を飛行機に載せさせるために殺人を犯す?
  • 飛行機の中でその被害者の妻の子供を隠して騒ぎを起こさせ、ハイジャック犯に仕立てあげる??

  • 客室乗務員に共犯者がいれば子供の搭乗記録を消せるのか?
  • いかに架空の巨大旅客機とはいえ天井裏やマシン室(?)が大きすぎないか?
  • 主人公の主張どおり子供が発見されたというだけで無罪が証明されるのは簡単過ぎないか?
  • 貨物室らしき場所にかくされていた子供がなぜ無事なのか?与圧とエアコンが入ってるのか?

くだらなさを笑うのがハリウッド大作の正しい観かたなのかもしれないが、それにしては本作は笑わせてくれるわけでもなく、退屈としか言いようがない。感想を書く責任で最後まで我慢してみたが、はじめから見なければよかった。

若くてさえない落語家の今昔亭三つ葉(国分太一)。落語が大好きなのだがなかなか思うように話せずに行き詰まっている。そこへ、密かに想いを寄せていた祖母の生徒から、小学生の甥の村林優(森永悠希)が関西弁のせいでいじめられているので落語を教えてくれないかと頼まれる。その奇妙な落語教室に、人とうまく話せないクリーニング屋のむすめ十河五月(香里奈)、野球解説の仕事から干されている元阪神タイガースの選手湯河原太一(松重豊)も加わって...。

この作品はなによりも題名がいい。題名だけで勝手に世界を膨らませていけるだけの力がある。脚本もシンプルだがわかりやすい。物語がシンプルなだけに配役が重要になるが、これ以上ないというくらいにはまっている。基本的に初々しく一所懸命なイメージだが、へこんだ顔も似合う国分太一、ぶっきらぼうが板に付いた超美人の香里奈、一見ダメそうだがある面で意外と力強い、というややこしい約にぴったりの松重豊、子役として驚くべき演技を見せた森永悠希。国分以外はいわゆる人気俳優でないが、見事なキャスティングというほかない。

この映画を引き締めているのが終盤で国分太一が見せた落語の一席。よほど稽古をしたのかかなり上手に面白い噺を披露し、リアリティを高めている。

ただすこし残念だったのがストーリーの弱さ。これは三つ葉をはじめとする4人の再生の物語だとおもうのだが、三つ葉は酒の勢いを借りながらも素晴らしい噺を披露し、優も同級生の前で一席演じて面目躍如となったが、のこり二人の再生が弱い気がする。湯河原は二軍の監督に就任するという説明でたしかに再生しているはずなのだがアピールが弱い。五月に至っては、三つ葉と恋仲におちて笑顔をみせるというだけでは何ともまあ、再生と呼ぶのははばかられるなぁ。

9.11直後、イギリス国籍のアラブ人4人が結婚式に出るためにパキスタンへ里帰りをする途中、ふとした興味でアフガニスタンの様子をみようと国境を越える。しかし滞在中にアメリカを中心とした多国籍軍の空爆が始まり、不安のなか足止めを食わされてしまう。町の有力者に頼み込んで出国のための車を手配してもらうが、何の間違いかタリバンのキャンプに送り込まれてしまう。やがてこの町にも攻撃が始まり、阿鼻叫喚の地獄なか3人は生き延びたものの、北部同盟の捕虜となり虐待を受ける。更に英語を話せることからスパイの疑いをかけられ、キューバのアメリカ軍グアンタナモ基地に移送されて長く恐ろしい日々を過ごす。

アメリカの対テロ戦争の愚かさはいろいろなメディアで描かれているが、事実に基づくこの映画は彼らの経験したあまりもの苦痛に息がつまる。あのような苦痛を強いられ、彼らはなぜ耐えられたのか、自分ならばはたして耐えられるのか。そしてその現実を受け入れられるか。

彼らはなぜあの様な目にあわなければならなかったのか。無実を証明できた彼らは開放されたが、それ以外の人たちはどうなったのか。あれほどの辱めを受けて、アメリカへの敵対心を抱かずにおれるものはいるのか。そしてなぜ、アメリカはあの様なことを続けるのか。

世の中のくだらない映画をハリウッドが一手に引き受けてくれる分、それ以外の世界で発信される映画は観るべきものが多い。(もちろん韓国映画は除く。)世の中で起きていることを知りたいと思う気持ちが少しでもある人は、観ても損はない映画だ。

母が死んだその日、父は葬式にも出ないまま突然いなくなった。残された少女は親戚に助けられながら父の帰りを待つが、そのまま数ヶ月が過ぎてしまう。やがて近所の人が、アルゼンチンババアと呼ばれる老婆が住む草原の中の奇妙な洋館で父親を見つけるが、父は帰る素振りもみせず...。

名優役所広司が意外なほど駄目な男をしっかりと演じる。老作りした鈴木京香のアルゼンチンババアは年齢がよく分からないが、その不思議な雰囲気が立ち上る。なかなかの演技派が揃い、期待感いっぱいで物語が始まるが、どうにも物語が現実離れをしてくる。もしかして駄作なんじゃないかと不安になってくるが、出演者のコミカルと紙一重の演技がなかなかおもしろく、飽きずに観ていられる。そして最後は、思いがけないほどのしっかりした結末で、ホロリとさせられてしまった。

地に足がついた作品ではないが、大人の童話としてはいいかもしれない。


野球部で万年補欠でいまも失業中のタカシ(大森南朋)。同窓会で酔った勢いで好きだった女の子に告白するために東京へ送り出され、公園で目覚めると目の前にキャッチボールをしている大人がいた。ことの成り行きで10分間100円のキャッチボール屋の留守番をすることになったタカシだが、意外と得意客などもいるようで...。

リアリティがあるのかないのかわからないとぼけた映画だが、大森南朋がぴったりはまっている。かわいいけれどちっともその気がないOL(キタキマユ)、甲子園のマウンドに悔いを残してきた野球中年(寺島進)など、魅力的ながらも浮世離れした登場人物たちが、楽しくもささやかな時を過ごす。しかし終わり方は中途半端というか、だから何というか、まあ平凡なエンディングで、まあそういう映画なんだなという後味が残る。

★★★☆ 幻の光


ゆみ子(江角マキ子)の祖母は子供の頃に失踪した。ゆみ子は祖母を引き止められなかったことを心の傷として生きていた。十数年後、ゆみ子は夫と生まれたばかりの息子と幸せに暮らしていたが、夫は線路の上をひとり歩いていて死んでしまう。なぜ夫が死んだのか、ゆみ子には判らない。やがてゆみ子は知人の紹介で遠く輪島の漁村へ再婚して行き、厳しい自然の中で落ち着いた生活を送るようになる。しかしやがて、ゆみ子は再び夫がなぜ死んでしまったのかを思うようになる。

人間を描いて定評のある是枝裕和監督のデビュー作だが、まずその映像技術に舌を巻く。完璧な構図、奇跡のように美しいロングショット、超望遠を使った臨場感。日本海の冬の濃密な描写。そこに同じく初主演の江角の、全存在を賭けたかのような見事な演技。映画作りの教科書にしたいような作品である。

ストーリー展開は淡々としていて説明も少ないし、ぐいぐい引き込まれて時間を忘れるというような映画ではない。観るほうが試されるような映画である。

★★★  立喰師列伝


終戦後、闇市の立ち並ぶ街角で立喰師と恐れられる男たちがいた。彼らは独特の技術と戦術をもち、代金を払わずに立ち食い蕎麦屋を渡り歩くプロなのだ。

スチル写真をやりたい放題でCG処理し、動く絵本のようなアニメーションとドキュメンタリ調のナレーションで描く本作は、なかなかにマニアックな出来上がりである。しかし攻殻機動隊、イノセンスでみせた内容の無さは相変わらず。伝えるべきものをもたない表現力のむなしさといってしまったら言い過ぎか。

前半はそれでもしっかりと世界を作りこんでいて楽しいが、年代が現在に近づいて来た後半は似たような立喰師が現れたり、技も技になってなかったりで飽きてしまう。多分監督も飽きてきたんだろうなと思う。90分の短編映画だが、あと30分は短くてもよかった。

★★★★ 初恋


学生運動の高まる1960年台末。母親に捨てられ親戚の家で疎外感と共に暮らすみすず(宮崎あおい)は、母と共に去った兄が渡してくれたメモを手がかりにジャズ喫茶へ足を踏み入れる。そこには社会からあぶれた若者達が日々集まっていた。

三億円事件の実行犯が高校生の少女だったという物語で、もちろんフィクションとされているが、原作者が主人公と同じペンネームを使っていること、他に作品を発表していないことなどから実話なのではないか、そうだったら面白いという興味も手伝い話題性が高い。しかしこの映画の主題はそこではなく、まさに『初恋』そのものだった。

東大生の岸(小出恵介)に、社会と戦う為にはお前が必要なんだと言われ、はじめて居場所をみつけるみすず。それが三億円強奪の計画だとしても必死になって準備に励む姿は、本作で唯一生き生きと見えて切ない。あれほどの笑顔が素敵な宮崎あおいにほとんどにこりともさせない演出は徹底したものがある。本作では台詞がほとんどないが、そのぶん目だけで力のこもった演技をして見せてくれる。

ストーリーの展開はゆっくりで、他の役者の演技も押さえ気味。当時の時代の空気をしっかり描いてはいるが観ていてそれほど楽しいものでもなく、退屈に思う人もいると思う。しかしみすずへの感情移入ができた人は高い評価をつけられると思う。物語の終わり方があまりにも悲しくて、打ちのめされてしまった。

元ちとせの主題歌は、もうすこし普通に歌ってほしい。歌詞もメロディーもまずまずだし声も独特できれいなのだが、あの歌い方は引いてしまうものがある。

現代の天才レントゲン医師・芳一(オダギリジョー)のもとに、サンショウウオのキンジローを撮影してほしいという依頼が来る。キンジローは1867年のパリ万博に出展されたという『動物国宝』であり、管理しているサラマンドル・キンジロー財団は国から多額の補助金を得ているが、対立する団体からその真正性を疑っているのである。キンジロー捕獲の為に芳一は財団の建物に侵入したが、キンジローは一足先に誰かに連れ去られていた。

はじめからおバカな映画であることは承知で、見る前は期待感が結構高く、見ている間はこんなもんかと思い、後で思い出すともしかして面白かったかも?と首をかしげるような映画である。ストーリーはめちゃくちゃで、特に後半は死んだ人が生き返ったり、行動の理由がわからなかったり、オチもまったくもって意味不明なのだが、オダギリジョーの魅力が満載であるということは間違いない。

★★★  オーシャンズ12


前作でカジノから大金を盗み出したダニエル・オーシャンと仲間達の処にカジノのオーナーから連絡が来た。二週間以内に盗んだ金を返さないと報復をするという。しかし金はほとんど使ってしまっており、ダニエルたちはその埋め合わせのために次の仕事を計画する。

前作を見ていないので比較ができないが、本作はしょっぱなからハリウッド映画臭さが鼻につく。いわれて返すくらいなら盗まなければいいし、そのために次の盗みをするなんて馬鹿馬鹿しい。スターをたくさん出演させて豪華絢爛という映画制作上の都合が透けて見えるが、はたして一人一人を丁寧に描ききれず、結局ジョージクルーニーとブラッドピットとその他大勢というかんじにまとまりがない。また物語の中でジュリアロバーツに偽ジュリアロバーツを演じさせるなど、手前味噌が過ぎる。まさにハリウッドによるハリウッドのための映画といえよう。

★★★★ ラストサムライ


明治維新直後、西洋風の産業や軍を取り入れようと必死の日本政府の招きで、アメリカ南北戦争の英雄オルグレン大尉(トム・クルーズ)は日本にやってきた。自身が戦争に飽き飽きしており、ただ金の為だけに教練を施すオルグレンだったが、日本の尊王派の反乱軍に捕らえられ、首領の勝元と交流をするうちに侍の精神性に惹かれるようになる。

ハリウッドが日本を描いた大作と聞くと嫌な予感がするが、本作は考証という面でもとてもよくできている。日本の景色に似合わないシダ類が出てきたり、日本の侍はフルネームを名乗るべきところを勝元の姓が出てこなかったりと多少の突っ込みどころもあるし、町並みもすこし違和感があるが、日本人が無理なく没入できる程度には日本を描けている。武士道が過度に単純化と美化をされているような気もするが、ハリウッドがここまで他文化を描くようになったというのは驚く。もちろん日本人をちゃんと日本人の、しかも実力が確かな俳優が演じているのもポイントだろう。ただし渡辺謙はじめ日本人がみな英語ぺらぺらなのは大問題なので、字幕でなく日本語吹き替え盤で見るのが正しい。

また殺陣の質の高さは息を呑むほど。日本の時代劇もこれほどのアクションシーンを撮ってほしいものだ。

ストーリーは、天皇に取り入って近代化を推進しながら私腹を肥やす財閥と、ひたすら天皇に忠義を尽くし、結果として近代化に反対することになった武士の勢力の戦いを、アメリカ軍人の目でみるという形となっている。自身が戦争や金儲けに嫌気がさしているオルグレンは、侍の生き様と死に様の中に拠るべきものを見つけ、自らの行動をも侍の誇りで律するようになる。鎧兜を来たオルグレンにあまり違和感がなく、更には軍服に戻ったオルグレンまでもが侍に見えないのは、見事な演出だ。オルグレンと、彼が殺した侍の妻(小雪)との間に淡いロマンスがあるが、ぐっと表現を抑えてくれて助かった。ここで小雪が操を捨ててしまうと、売春婦国家の感がぬぐいきれなくなる。

本作で最も好感が持てたのが青年天皇の描き方だ。財閥にいいように操られそうになりながらも、自らの頭で真摯に考える姿は、明治の日本の姿そのものとかぶり瑞々しい。日本人としてよくぞこう描いてくれたと思わずにいられない。

武士道とは何か、と深く切り込んだ作品ではもちろんないが、ハリウッドが日本をきちんと描くことができるということを証明した点で画期的な作品である。

★★★☆ ハザード


大学生のシンは、日本の退屈な日常から抜け出したくて、単身ニューヨークに渡った。だが向こう見ずなだけで語学にも疎いシンは黒人に荷物を脅し取られてしまい、無一文で食料の万引きを図る。そこで出会ったのがギャングのリーとタケダだった。

役の違いということもあるが、オダギリジョーが他の役者に喰われる映画というのは初めてみた。ジェイ・ウエストの演技のキレには神がかったものがある。カナダ出身でフランス人と日本人を両親に持つということだが、世界は広い。

3人はドラッグ入りのアイスクリームを売り、強盗を繰り返し、好き勝手に振舞う。極めてインモラルだが、見ていてゾクゾクさせられる。シンが何度かつぶやく『眠い国、日本』とは対極の世界がそこにある。

刹那的な享楽を求め、危険を省みず、もちろん法も犯してはばからない3人。こういった生活はたとえ映画の上でも続くはずがなく、やがて終わりを迎える。こういうタイプの映画はどうやって終えるかが大事だが、本作ではリーは刑務所に入れられ、タケダは警官に射殺される。シンはリーに必ず出してやると約束をして、日本に戻る。ニューヨークではリーに庇護される程度の存在だったシンだが、渋谷ではチーマーに絡まれても圧倒的な余裕がある。こののちシンが渋谷でニューヨークのときのように暴れまくるとも思えず、結局のところひとつの青春が泡のようにふくらみ、はじけたと見るのが妥当と思う。

ニューヨークにはリーの親友だったウォンがおり、3人が駆け抜けた舞台としてのニューヨークはもちろん残っている。難しいこともカタいこともいわず、3人の若者の肖像として楽しんで見るのがこの映画の正しい見方と思う。

★★★☆ 雪に願うこと


東京で事業に敗れた学(伊勢谷友介)は、連絡もせずにふるさと帯広に戻ったが、立ち寄ったばんえい競馬で有り金をすってしまった。学の兄の威夫(佐藤浩市)はばんえい競馬で馬舎を営んでおり、一度は家族を捨てた学に冷たくあたるが、衣食と仕事を与える。

佐藤浩市、小泉今日子と名優たちが見事な演技を見せているが、この映画の主役はなんといっても馬達である。体重1000kgを超え、サラブレッドとはまた別の美しさと力強さをもつ彼らは、役者のどんな演技よりもすばやく観客の心を捉える。

それにひきかえ、主演の伊勢谷友介の大根ぶりは恐ろしい。事業を潰し卑怯にも逃げ帰ってきた現代っ子という役にははまるかもしれないが、役者としての魅力が片鱗も見えない。

吹石一恵は、特に目立たなかったが、特に目立つことを求められる役でもなくちょうどいい感じ。安直に学との恋物語にならなくてほんとうによかった。

津川雅彦、山崎努という2人の大御所を端役で使っているが、微妙にかぶってしまっている。一人はもっと無名の役者でよかったのでは?

主役の失敗というハンデを抱えつつも途中までいい感じだった本作だが、最後にこけてしまう。本作の影の主役ともいえる競走馬のウンリュウが最後に勝利を収めるというセオリーどおりのシナリオで、盛り上げればそれでいいと思うのだが、そこにたいした決意もないのにとりあえず東京へ戻ろうと競馬場の門にむかってふらふら歩く学の姿が挟み込まれる。ラストカットは門を出た横姿のストップモーション。なんの盛り上がりも感動も、余韻も残さない大変に下手くそなエンディングとなった。

思うに本作は、原作のすばらしさと一部の俳優(馬を含む)によって平均以上のレベルになっているが、監督は映画を知らないど素人なのではないだろうか?

デリヘルの電話番をしている少女里子(池脇千鶴)、デリヘル嬢の秋代(中村優子)、女性イラストレータの塔子(岩瀬塔子)とそのルームメイトのOLちひろ(中越典子)。若い4人の女性の恋愛と生活を叙事的に描く佳作。

秋代のデリヘルシーンはどぎついし、塔子が半裸でベッドに仰向けになって思索にふけるシーン、里子がトイレに駆け込むシーン、極めつけはちひろが顔面に射精されるシーンなど、ふんだんに性的なシーンがある。しかし映画の表現上重要なシーンであるわけでもなく、これを黙って流すことができないと映画の世界に入れない。その意味で、女性のために作られた作品だと思う。男ながらにこんな作品を撮ってしまう矢崎仁司監督はかなりいやらしい男に違いない。

里子は昔の男に捨てられた後、『恋がしたいな』と独り言をいいつつデリヘル電話番のバイトを続けている。秋代は大金をためているが、棺桶をベッド代わりにし、好きな男には素直に告白できず友達として飲みに誘ってばかり。ちひろは念願の恋人ができるが相手からはうるさがられ、塔子は過食と吐き戻しを繰り返している。2人は極端で2人は平凡だが、男性としてみればそれぞれにいとしく思える部分もあり、また女性としてみればおそらくはそれぞれに共感できる部分もあるのだろう。

人物もしっかり描けているし、総合してみるとまずまずの映画なのだが、性描写を考慮に入れるとやはりキワモノのジャンルに入ってしまうなぁ。

★★★☆ ランボー


ベトナムの帰還兵であるランボーは、戦友をたずねて訪れた町でよそ者として排除され、反抗をした結果警官に拘束、暴行を受ける。暴行の最中、ベトナムで受けた拷問をフラッシュバックさせたランボーは、警官を倒して山に逃走する。ベトナムで死線をくぐりぬけてきたランボーは山岳戦はめっぽう強いが、やがて包囲される。そこに現れたのが、ベトナム時代の上官であるトラウトマン大佐だった。

子供の頃にテレビで視聴したときの印象は、暗い映画、アクションが地味な映画、最後にカタルシスのない映画、結局のところつまらない映画という感じだった。今ふたたび見ると、なるほどそのとおりだと思うが、評価は正反対になった。

子供時代にはわからなかったが、ベトナム帰還兵の受けた傷と疎外感がとてもよくあらわされている。またアメリカの田舎町の閉鎖性やアメリカ人の独善性が、アメリカ映画としては異例なほどちゃんと描かれている。伝えるべきメッセージをもって作られた作品である。

市街戦のシーンでは、社会派の映画としてはやや暴力描写が過剰である。この観客サービス(?)が災いして、過度に暴力的なシリーズができてしまったのだろう。できれば初作だけで完結してほしかった。

★★★☆ アンジェラ


パリの街で借金取りに追われ、絶望して身投げをしようと橋の上に立つアンドレ。ふと横を見ると長身の美女が立っており、『あなたと同じことをする』といって河に飛び込む。アンドレは我を忘れて後を追い、彼女を助ける。アンジェラと名乗ったその女性は、アンドレを次々と降りかかる災難から救うのだった。

全編しっとりとしたモノクロームの画面で、パリの街がとても美しい。リュック・ベッソンはまさに映像の魔術師。ふとしたカメラワークで観客をにやりとさせたりぞくっとさせたりする。圧巻は最後のほうでアンドレがアンジェラを探すシーン。ぐるぐるまわって酔いそうな映像だが、観客の目を釘付けにする。

ストーリーはシンプルでラストも幾分イージー。アンジェラがアンドレに自身を取り戻させるシーンははっきりとしたメッセージが来るが、あまり真に受けないほうがリュック・ベッソン監督との付き合い方としては健全かもしれない。

★★★☆ 花よりもなほ


親の仇を討つ為に江戸に出てきた青木宗左衛門(岡田准一)は広い江戸で仇も見つけられず、貧乏長屋で暮らしている。ついに国許からの仕送りも絶え、町民の子供相手に手習いの塾などを始める。やがて宗左は仇を見つけるが実は剣術の腕はさっぱりで...。

『桜がいさぎよくく散るのは、来年また咲くことを知ってるから』といい、強くしたたかに生きる庶民の姿はとても爽やか。建前で生きているような武士達も、ちょっと屋根の下に入ると結局は本音が顔を出す。時代劇の形を取っているが、これぞいつの世にも通じる人間劇である。

豪華なキャスト陣をそろえているが、それを看板で終わらせずに一人一人しっかりと描く手腕は見事。役者のなかでは岡田准一の抑えた演技が生きている。それにしても宮沢りえはとても美しい女優になった。

同じ長屋に赤穂浪士が潜んでいて、討ち入りの機を狙っている。こちらも実に人間くさくて、面白い。史実とは異なるのかもしれないが、サイドストーリーとしてこの人間賛歌を補強している。

★★★★ SHINOBI


江戸時代のはじめ、太平の世に伊賀流鍔隠れの里の後継者・朧と甲賀流・卍谷の後継者である弦之介は恋に落ちる。しかし平時に不要な忍の血を絶やすことを画策した服部半蔵より、双方の里より五名の代表者を出して戦えという命が下る。

朧役に仲間由紀恵、弦之介役にオダギリジョーを配し、出演陣は豪華。両主役とも現代的なイメージがあるのでしっぽりしたシーンは少し違和感があるが、演技はまずまず。アクションも上出来で、見ていて楽しい娯楽作品である。ただし朧も弦之介も強すぎて、それまで激闘を繰り広げていた他の忍たちがかすんでしまうのは残念。

最後に二人が対決をする場面、妖術をうまく出せない(封じられた?)朧が小刀を構えて弦之介に飛びかかる。その直前までは忍の運命を受け入れ己の心を殺していた朧だが、最後の瞬間、目を閉じて泣きそうによろめきながら弦之介の懐に飛び込む。弦之介は微動もせず、刃もろとも朧を抱き止める。良いシーンである。

この作品はタイトルがローマ字。作中の人物紹介もローマ字併記となっており、海外興行も想定していたものと思われるが、海外に出るには中国映画ほどの徹底した娯楽性(超現実性?)が足りない。忍が滅びなければいけない運命は理解されないだろうし、仲間由紀恵/オダギリジョーにシンパシーのない外国の観客が見たとき面白さは半減かもしれない。

国内でも評価は低く、興行収入は目標を下回った。『文春きいちご賞』の2005年のワースト1というが、特に破綻もないし退屈もしないし、それほど悪いわけでもないと思う。

★★★  ヴァイブレータ

31歳のルポライター玲(寺島しのぶ)は、頭の中に響く自分の声に悩まされている。『誰かに触れたい』と強く思っているが、傷つけられることを恐れてもいる。ある雪の夜、コンビニで出会った距離トラック運転手の岡部(大森南朋)の無言の誘いに乗り、関係を持つ。そのまま妻子あるという岡部のトラックに同乗してしまい、日本海までの往復を共に過ごす。

タイトルのヴァイブレータはトラックの振動という意味であり、岡部から伝わる鼓動という意味であり、玲の心のゆれという意味でもあるが、もっと直接的に想起されるとおり、本作では大胆な性的シーンが挿入されている。ちなみに私はセックスシーンを見てしまうと、これは手の込んだアダルトビデオの一種ではないかとつい思ってしまい、続きを見る気が失せてしまいがち。どうしても性描写を加えないと表現出来ないアートというものもあると思うが、それはかなり病的なテーマになると思う。

本作では、玲の抱えている病(孤独感?)は深刻である。ラストで玲は自分を『少しだけ良いものになった気がする』というが、たぶんそれは気がするだけであり、早期に医者の治療が必要に思う。同じ廣木隆一の作品『やわらかい生活』で演じた橘優子とほぼ同じキャラ・同じ病であり、優子が本格的な躁鬱病である事を考えると、まるで玲の悲惨な未来を見るようで辛い。

本作、および『やわらかい生活』の寺島しのぶは同年代の女性の支持を集めたというが、いまの30歳台OLたちはそんなにストレスにつぶされそうなのだろうか。とつまらない事を考えてしまった。


スペインのアンダルシア地方。地元出身の自転車レーサーのレース展開と、その兄の結婚式を同時進行で描く。兄の花嫁は、もとは弟の恋人だった。

47分の短編作品で、あまりごちゃごちゃと盛り込まれていないのがいい。自転車レースということで疾走感を期待したが、どちらかというと暑さとの戦いという印象が残った。真っ青な空と照りつける太陽。乾燥した大地と白い家々。そういった空気感がもっと強調されているともっと良かったと思う。

ただ主人公に感情移入しやすいように、まるっきり日本人顔だったのはちょっとずるいか。

★★★☆ どろろ


戦国時代、父親が戦に勝つための取引として魔物に体の48箇所を奪われた百鬼丸が、小泥棒のどろろと共に旅をしながら、魔物を一匹一匹倒して体を取り戻していく物語。

手塚治虫の原作では百鬼丸もどろろも少年少女だが、映画では妻夫木聡と柴咲コウが演じるのでだいぶ趣が違う。柴咲コウのどろろは地声でがなり放題、眉間にシワを寄せ放題で、はまり役というか、役者が役を食っているというか、それはそれで面白い。それに比べて妻夫木聡の百鬼丸は普通すぎて面白みが少ない。

この作品は根底が悲劇であるにもかかわらず、百鬼丸やどろろが抱えている闇を描ききれていない。それらしき場面や台詞は配してあるが、どうもコミカルな演出にかき消されてしまっている。エンターテイメント作品といえどだれもが知っている原作を使うのだからもう少し厚みを出してほしい。

また見所になるはずの魔物との戦いの場面が、最初の蜘蛛女(?)との戦いはまあまあだがそれ以降がちゃちすぎる。それに百鬼丸にとって戦いとは己の体を取り戻すための苦行であり、リズミカルな音楽を背景にテンポよく展開するようなものではないはず。どろろも戦いのシーンでは一生懸命なのはわかるが遊んでいるように見えてしまう。魔物の造型もハリウッドを見慣れた目にはおもちゃっぽい。

この映画は続編が予定されているらしい。百鬼丸もどろろもそれなりに愛着をもてるキャラクターなので次回作に期待をしたい。

★★★  パプリカ


患者の夢をモニタに映し出したり、夢に潜入して治療を行ったりすることができるマシン『DCミニ』が何者かに盗まれた。セラピスト千葉敦子は夢探偵『パプリカ』として患者の夢に潜入して調査を開始するが...。

映像、音楽などの表現が充実していて、見ていて飽きない。アニメ表現の見本として作られた作品というかんじ。ただ面白いことは面白いが、アニメに興味のない一般の方にはあまりおすすめしない。おなじ筒井康隆作品なのに、『時をかける少女』とは方向性がまったく違う。(変わり者の筒井氏としてはこちらが本領か?)

本作の見所は夢をのっとられた被害者が見続ける悪夢の中で、ブリキのおもちゃや家電製品やそのほかガラクタたちが大量に、意味不明の言葉をしゃべりながら更新をする場面。何度も何度も出てきて、この作品の印象を決めている。

パプリカは美人探偵という説明がついているが、容姿も服装も、赤い髪もしゃべり方もまさに娼婦そのもの。これはかなり計算してそうなっているに違いない。夢の中で患者に心を開かせるにはそういうキャラクターがあっている、という作品世界内での説明もできる。アニメ好きな観客にも訴求する。また美人だがやや冷たい印象のある敦子本人とは正反対の仮想キャラとすることにより、敦子自身の変身願望とっ読んでもあながち外れてはいないだろう。

最後に夢と現実が混ざってしまうのは夢ネタとしては陳腐で古臭い。美人で天才の敦子が、同じく天才ではあるが不細工な同僚の時田に思いを寄せているというのもありがち。つまりストーリーが薄っぺらい。あくまでアニメ好きの人のための作品といえよう。

★★★★ かもめ食堂


舞台はフィンランドのヘルシンキ。サチエは小さな日本食堂『かもめ食堂』を開いている。お客はちっとも入らないが、コーヒーとシナモンロールに惹かれてすこしずつ常連さんが増えていき...。

小さな町の小さな店に、ちょっと変っているけれど気のいい人たちが集まる。特にサチエ(小林聡美)の人柄と笑顔が素敵で、こんな店が本当にあったらいいなと思わせる。なぜこんな町にひとりで店を開いたのかという説明はないし、主な要登場人物の来歴も描かれない。だからこそ観客も、気に入った店に集まった知らない者どうしのようにくつろいだ気持ちになれる。

キャスティングも光っている。小林聡美の魅力はもちろんだが、片桐はいりの不思議な存在感、もたいまさこの人とは別の時間を生きているような表情が、余分な台詞を必要とせずにゆったりとした空気感を出している。またこの2人に比べればフィンランド人のほうがぜんぜん普通っぽいので、結果として等しい親近感をもつことができる。

北欧を舞台とし、全編現地でロケをしたというが、まぎれもなく上質な邦画に仕上がっている。いろいろな要素があるが、この映画を成功させた一番のポイントはたぶん誰の目にも明らかであり、ちゃんと一番最後のシーンで再確認をさせてくれる。


事故で視力を失ったミチルは、線路沿いの家に一人で住んでいる。外出はほとんどせず、ときどき親友のカズエと買い物に行く程度。ある日目の前の駅で殺人事件があり、その日から家の中に何者かの気配を感じるようになる。

原作は乙一の傑作小説。ストーリーも映画向きだし見せ場も多く、料理しだいでは号泣も期待できる素材。原作ではミステリー作家の慎ましさで押さえ気味に作っていたが、映画ではぜひもっとウェットなバージョンが見たい。主演はフレッシュなCM演技で記憶に残る田中麗奈となれば、期待が膨らむ。

が...。なんとも残念な仕上がりであった。まずアキヒロの内向きな心の闇を描ききれないと判断したのか、中国系のハーフという設定を加えてごまかしている。おかげで日本語をまともにしゃべれない台湾のイケメン俳優が登場し、ほとんどの日本人男性観客は白けることになる。2人の演技もかなり低いレベルにとどまり、大切なシーンが流れてしまう。『お母さん!』の場面は泣かせてくれなければ、『ありがとう』の場面はもっとタメを作らなきゃ、なんでカズエに電話をする気になったのか判らせてくれなけりゃ、家を出る場面はもっとグッとさせてくれなくちゃだめでしょう。原作であればさらっとした描写でも脳内補間が有効に働くが、映画ではちゃんとしっかり作らないと感動は得られないのですよ。出演者、製作陣両方の力不足が目立つ作品であった。


主人公のジェライザ=ローズは10歳の女の子。母親がドラッグ中毒で死亡した日、同じくドラッグ中毒の父親に連れられて彼の故郷へ行き、草原の古家で暮らし始める。

不思議の国のアリスをモチーフとし、あたりそうなほどの毒気と幻想的な映像でまとめた不思議な作品。ローズはもぎ取った人形の頭を両手の指にさして一人遊びをし、ロボトミー手術をしたディケンズは列車を巨大なサメと信じて爆弾で退治しようとする。

この映画、死んだ父親を剥製にしてしまったり、10歳のローズに知恵遅れのディケンズを誘惑させたり、まじめに見ていると正気を失ってしまいそう。ローズ役のジョデル・フェルランドの妖艶な演技は見ものだが、普通の趣味の方にはあまりおすすめできる映画ではない。117分の尺は90分くらいのほうが見やすくてよかったかも。

★★★★★時をかける少女


紺野真琴。17歳。同級生の津田功介、間宮千昭と放課後にキャッチボールをして過ごすような元気な女の子。ある日ひょんなことでタイムリープの能力を手に入れた彼女は、美味しいものを何度も食べたり、試験でいい点をとったりと絶好調。人の恋にもおせっかいをするけれど、自分の恋からはつい逃げ続けてしまって...。

...見終わって、あまりの感動に何を書けばいいか判らない。ヒロインの一生懸命な顔が目に焼きついて、すぐには冷静に感想がかけない。これほどすごいアニメができたのなら、もう当分は他にアニメなんか作らなくてもいいんじゃないかと思ってしまうくらい。

ラストの部分。もう二度と会えないと判っていて告白をしないことにした千昭と、もう会えないから最後に聞きたい真琴。すれ違いのまま終わりそうになったとき、最後に千秋が『未来で待っているから』。真琴は『うん、すぐ行く。走って行く。』初めて知った初恋の大切さと切なさ。それ以上届かなくても思い続けること、覚えていることの意味。作品にしっかり寄り添い、これから先の真琴の生きていく時間を祝福するかのようなテーマ曲。これ以上ど真ん中を行くの青春賛歌はちょっと見たことがない。

ちょっと分解すると、時間旅行というテーマが本質としてもっている物語性を十二分に生かし、17歳の女の子という無敵のキャラクターを登用したのが本作であり、しっかり作れば傑作は約束されている。そこにいのちというテーマをかけて、もちろん淡い恋愛もからめて、選び抜いた最高の声優とスタッフ陣を集めてできたのが本作で、失礼ながらジブリの練習作とは比べるべくもない。しかし興行収入は1/30ということで、まったく世の中は理不尽なものである。

本作は学校生活のディティールを実に細かく描写しており、絵を見ているだけで自分の卒業アルバムを見るような感慨を与えられる。キャラクターも一般にもう受け入れられる絵作りで、主人公の表情描写がみずみずしい。声優はフレッシュな新人で、プロのような完璧さはないかわりに他作品のキャラが思い浮かんだりするようなこともなく、十分に個性的かつ魅力的だ。製作陣のプロフェッショナルな仕事が結実した正真正銘の名作と思う。

★★★★ ゲド戦記


作物が枯れ、家畜が倒れ、人心が乱れていく王国。王子アレンは父である王を襲い、宝剣を奪って出奔した。凶事の原因を探る旅を続けていた大賢人ハイタカは、野犬に襲われていたアレンを救い、共に旅を始める。アレンは町で人狩りに追われていた少女テルーを助ける。ハイタカはアレンを連れて昔馴染みのテナーの家を訪ねるが、そこにはかつて親に捨てられたテルーが共に住んでいた。

大々的な宣伝の下、ジブリの新しい時代を担うべく期待されて公開された本作だが、散々な酷評を受けた。原作者も『これは私の作品ではありません』と言ったという。それほど酷い作品なのかと思って見たが、見所がないわけではない。

絵と音楽はさすがにジブリで、レベルが高い。しかし何かひとつ魂がこもっていないというか、駿作品にあった一瞬で鳥肌を立たせる力が、まだ欠けていたように思う。ストーリーはなかり原作から離れているようだが、これが拙い。なぜそうなるのか、何を表しているのかが判らないことが多く、だから何?といわれてしまっても仕方がないだろう。原作に忠実であればそちらを当たれば理解できるが、中途半端な創作では底の浅さとしか見えない。テーマを掘り下げず表現だけを追及するなら、陳腐なハリウッド映画と変るところがない。

この映画最大の収穫はテルーの唄。この唄ひとつで映画の世界が間違いなく広がっている。一本のアニメ映画を一曲のテーマソングが救うというのも大げさな話だが、実際にそんな形になっていると思う。


主人公アンは23歳。2人の娘と優しいだんなに囲まれ、トレーラーハウスで幸せに暮らしている。そんな彼女が癌で余命2ヶ月と診断され、死ぬまでにやりたいことをメモに書き上げる。

原題はmy life without meで、こちらのほうが映画の主題をよくあらわしている。自分が死んだ後のだんなの再婚相手を気にしたり、娘達が18歳になるまで毎年誕生日に届けるテープメッセージを残すなど、自分がやるべきことを考え、死んだ後への希望につなげることによって死への恐怖と戦う。

やりたいことのひとつに、他の男性とつきあい夢中にさせることというのがある。17歳で初めてキスをした男性と結婚した彼女にしてみれば、最後のわがまま、最後の冒険として気持ちがわからなくもないが、残される相手や、何も知らないだんなへの罪の意識はなかったろうか。

アンの周囲の人たちは、奇跡的というほど良い人たちばかりである。それはもちろん映画のわかりやすさ、見やすさにつながっているのだが、やや出来すぎという感もある。人は死ぬとき、もう少し何か思い残すことがあるのではないか?

★★★☆ UDON


ニューヨークでコメディアンを目指す松井香助(ユースケ・サンタマリア)は、夢破れて故郷の香川に戻る。実家では拓富(木場勝巳)が頑固一徹に製麺所を営んでいた。ある日香助は山中でガス欠となり、宮川恭子(小西真奈美)と出会うが、道に迷ってしまう。翌朝、疲れきったふたりが助けを求めた入った人家もうどん屋だった。香助は親友の鈴木庄介(トータス松本)の誘いで、ミニコミ誌で働き始めることになる。書店周りでヒントを得た香助は、うどん屋をテーマとした特集を作り始めるが…。

香川の素朴な町と人々を背景に、好感度の高いの役者達がハートウォーミングな物語を繰り広げ、安心して愉しめる娯楽映画となっている。しかし味のある演技ができるのが香助の姉を演じる鈴木京香くらいしかおらず、今ひとつ物語に厚みが出ていない。

またCGアニメ、キャプテンUDONの夢のくだりはちょっと大人が直視するには気恥ずかしいし、必要もない。亡くなった父拓富を安易に登場させてみたり、作中でウルフルズのヒット曲を本人が歌ってみたりと、安直な演出が目立つ。またちゃんと観客を笑わせるつもりなら、ブーム到来時の人の数が少ない。もっと津波のように押し寄せてほしい。画面を分割して多数の映像でブームを表現していたが、一つ一つの画面が小さくなった分インパクトが弱くなっている。作中何度も出てくる小さい丘の風景は何を象徴しているのか判りにくく、タイミングもよくない。

ストーリーは観客が望むとおりの予定調和となっており、このタイプの映画としては問題ない。その中で、型どおりでも良いからしっかりと観客を引き込んでいく技術が、この製作陣にはちょっと不足しているように思う。

しかしこの映画に出てくるうどんは本当に美味そうだ。うどんの魅力と出演陣の(素の)魅力、それでなんとか成り立っている映画といえる。


アイルランドの対イギリス独立戦争を描いた作品。医者を志すデミアン、兄テディや仲間達を中心とした義勇兵の戦いを描きながら、戦争とは何かを強く問いかける。

1920年という時代もあり、武器や戦い方は実にシンプル。それだけに生身の人間がいやおうなく殺しあう現実を描ききっている。終盤、デミアンとテディは信念の違いから袂を分かち、やがて銃で殺しあうことになる。かつての仲間の名を叫びながら撃ち合う姿は商業ハリウッド映画では到底伝えられないメッセージを観客に届ける。

ラストは救いのない悲劇で幕を閉じるが、この作品の主題にふさわしい結末といえる。娯楽的要素は全くないが、必見の作品。

★★★★ ゆれる


東京で写真家として暮らす猛(オダギリジョー)は、母の一周忌に帰郷する。実家のガソリンスタンドでは、兄の稔(香川照之)とともに幼なじみの川端智恵子(真木よう子)が働いていた。翌日、猛は稔、恵子とともに近くの渓谷に遊びに行くが、稔とともに吊橋を渡っていた智恵子が、転落して死んでしまう。故意か事故か、裁判で真相が争われることになるが、稔も、猛も心の中に闇を抱えていた。

オダギリジョー、香川照之の名演が光る。本作はストーリーでなくふたりの兄弟の関係性に焦点を当てた作品であり、この絶妙なキャスティングがなければ成立しなかったかもしれない。

真相は最後になって明らかにされる。観客はそこで猛とともに心を閉ざしたくなるが、その想いはラストシーンで溢れ出す。最後の数秒のワンショットは映画のシーンとしては古典的ではあるが、この映画にとって必要なあらゆる救いがこめられており、印象深い。

それにしてもオダギリジョーの魅力は底知れない。これほどの俳優であるからこそ、それを生かすため監督や競演者の力量が問われてしまうが、本作は実に高いレベルでそれが結実している。邦画の愉しみを十分に感じさせてくれる作品である。

七原秋也と中川典子が脱出して3年、七原はすべての大人達に宣戦布告をし、東京都庁爆破を敢行する。それに対し政府は、新たに拉致をした中学生のクラスに武装させ、七原率いるテロリストグループ『ワイルドセブン』と交戦させる。彼らは完全な装備を与えられるが、男女2人で一組となり片方が死亡もしくは逃亡した場合は他方も爆殺される。作戦期間は3日間。3日以内に七原を殺害できなかった場合は、全員が死亡することになる。

前作のラストを見たとき、この続きとして七原達の復讐劇を見たいと思った。しかし本作では七原達の攻撃はあまり描かれず、前半はあらたに拉致されたクラスの物語が主となる。この部分ストーリーとしては省くことができないのかもしれないが既視感がある。また前作ほどの描写の丁寧さも、役者の個性もないた。死に方も短い尺で手っ取り早く処理をししまっており、前作との対照が鮮明である。

そのかわり本作は、前作と異なりきわめて現実社会に対するメッセージ性が高い。本シリーズのヒーローである七原はテロリストを自認し、無差別大量虐殺テロを実行した。東京都庁爆破の映像は明らかに911を想起させることを意図しており、七原はアルカイダを連想させる存在として描かれている。七原自身、戦い続ける事に悩みながらも、戦い続けなければいけない理由をもつ。七原にシンパシーを持つ視聴者にとって、この戦いを否定することは難しい。そしてメディアを通じて世界中に蜂起を訴える姿は、身震いがするほど格好いい。またややコミカルにではあるが、アメリカの全世界覇権戦略を批判し、無批判に追従する政府を批判している。

BR法の存在する現実離れをした設定の下であるから、作品中で訴えられる正義は現実社会での正義とは決して同一では。それでも深作健太監督はこの映画に娯楽以上のものを込めたかったのだと思う。

本作は深作欣也監督の製作した前作とくらべて、興行的にも批評家の反応的にも芳しくなかったらしい。前半が前作の劣化コピーにしか見えなかった点でそれは仕方ない部分もあるし、作品作りの丁寧さも劣る。たとえばラスト近く、七原と青井拓馬が脱出するシーンは名作『明日に向かって撃て』の場面を借りているが、ここで観客の意識を他の映画に飛ばすのはいかがなものかと思う。

とはいえ僕としては、本作の方がより感情を移入する理由があり、見ごたえを感じた。


松本大洋による同名の漫画をアニメ化した作品。漫画連載時に結構好きだったので、映画がレンタル解禁されてすぐに観た。

シロ、クロという名の親のいない子供が、周囲の開発から取り残された下町で暮らしている。彼らは大人になつかず、廃車の家に住み、カツアゲやスリなどの犯罪行為で生活を成り立たせている。そこへある日、子供向けのレジャーランド経営を生業とする海外系のマフィアが進出して来て、目障りなシロ、クロを退治しようと三人の殺し屋を放つ...。

本作は原作のストーリーをほとんど忠実に辿っている。また原作の絵がもつ独特の世界観を努めて再現していて、製作者の原作に対する思い入れが強く感じられる。しかし本作はひとつの重要な要素により、単なる人気漫画の映画化という枠を超えてしまったと感じる。

それは声優陣、とくにシロ役の蒼井優の好演による。原作では何気なく話されるいくつかの言葉が、蒼井優によってとても大切な言葉になっている。そのことにより、原作と比べて本作ではシロの存在感は圧倒的になっている。作品の中での存在感ではなく、作品そのものの存在感を大きく押し拡げているのである。

原作が発表されてから十余年経ち、当時の読者なら誰の中でもシロ、クロのつながりや宝町の景色に対してノスタルジックでセンチメンタルな美化が起こっている。おそらく映画制作者についてもこれは同じで、この作品はそういう期待を満足させることをターゲットに演出されるているとともに、原作に対する強いオマージュともなっている。そしてそれは成功していると思う。

絵作りに関してはおおむね質が高いが、作品中でさまざまな表現を試しているために一貫性がない。脚本、構成に関しては、限られた尺の中で原作を生かしたいという苦労の結果なのだろうが、大切な場面が省略されていたり、原作のある場面を別の文脈で無理やり入れたりしてやや不満が残る。特に終盤のイタチとの対峙で、クロがシロを信じる理由を説明する大切な台詞が抜けているし、最後になぜシロとクロが海に行ったのかの説明がない、などは残念な要素になるだろう。

それにしても、シロとクロの結びつきの強さをあらわすシロのこの台詞。

『でもクロの無い所のネジ、シロがもってた。シロがみんな持ってた。』

これは漫画史上(および映画史上)に残る素敵な言葉だと思う。

★★★☆ やわらかい生活


39歳、独身。恋人もなく躁鬱に苦しむ彼女と、それぞれ心に傷をもち、彼女といっとき関わりを持ちながら去っていった4人の男の物語。

全編が詩のように構成され、静かに物語は進んでいく。音楽もそれに合わせて、シンプルだが心に響く。気取らず、等身大に描かれた主人公楠優子(寺島しのぶ)の生活や気持ちは、同年代の多くの女性の支持を集めたらしい。

男たちは決して恋人ではなく、お互いを暖めあう仲間のよう。こういう水底に沈んだような生活で必要なのは、やはり同性ではなく異性の友達か。しかし決してある一線は越えられず、ハリネズミのジレンマを思い出させられる。

ただ一人、いとこの祥一(豊川悦司)だけが鬱で何もできなくなった彼女の手助けをするようになり、ついに一線を越えようとするが、物語の神様はそれを許さない。

それにしても、最後の終わり方がちょっとあんまりだと思った。これでは映画で描いている間だけがやわらかい生活で、その前後はちっともやわらかくない。ハッピーエンドは無理でも、せめて次へのつながりを持たせるエンディングでいてほしかった。


若いカウボーイが2人、放牧する羊を見張るために雇われ、ブロークバックマウンテンの麓でひと夏の間キャンプをする。人里はなれた美しい自然と厳しい仕事の中で、刹那的に2人の間に愛情が芽生える。十数年後、それぞれに家庭を持った2人は再開する。そして2人の繋がりは隠されながらも生涯続くことになるのだった。

正真正銘のゲイを描いた映画だが、映画のつくりがとても美しく、純愛の物語といっても違和感はない。2人の男の生涯をとても長いスパンでありながらも丁寧に描き、人間ドラマとしてとてもよく出来ている。

ただ2人のキスシーンだけはちょっと目をそむけたかった。

★★   炎のランナー


あの余りにも有名なテーマ曲に惹かれ、一度映画も観ておこうと思った。冒頭から流れるテーマ曲は、それだけで期待を掻き立ててくれた。

...が、途中で飽きて別のことをはじめたりして、しまいには寝てしまった。そのうち、また、いつか機会があったらまた見てみて、本当に★★レベルの映画なのか再考しよう。

★★★  醜聞


新進の画家・青江(三船敏郎)と声楽家・美也子(山口淑子)が、偶然であった温泉地で雑誌記者に写真を撮られ、スキャンダル誌に掲載される。怒った青江は裁判に訴えることを決め、弁護士の蛭田(志村喬)に弁護を依頼するが...。

本作は、蛭田の姿を通して人間の弱さ、苦悶、再生を力強く描く。蛭田は仕事にあぶれ、結核をわずらう娘(桂木洋子)を抱えて生活が苦しく、酒におぼれる毎日を送っている。そして青江のスキャンダルを知り自ら弁護を申し出たにもかかわらず、雑誌社側に買収され、青江に不利な弁護を行ってしまう。

しかし青江はその弱さを見抜きつつ、蛭田の良心に賭ける。また娘は蛭田の不正を糾弾するが、青江の勝訴を信じながら息を引き取る。このあたりの美也子をも含めた人物描写はとても暖かく、ヒューマニズムにあふれて感動を禁じえない。

やがて裁判の結審。最後になって蛭田は自らの不正を暴く形で雑誌社側の有罪性を証明する。裁判を取材する記者たちに勝訴の感想を問われた青江は、裁判の勝敗云々より、蛭田の行為を評して『新しい星が生まれた』とのべ、感動を表明する。

現代の作品と比べるとシンプルなストーリーだが、名優たちの演技とゆるぎない演出は流石と思わされる。

ただ下世話な視聴者としては、青江と美也子の間にちょっと危ない関係、お互いに惹きあってしまうけれどかろうじて踏みとどまるみたいな演出があると楽しかったようにも思う。


バトル・ロワイヤル法に基づき、中学生の1クラスを離島へ移して殺し合いをさせる。生き残れるのはただ一人。3日間が経過した後に複数の人間が生きていた場合、全員が死亡することになる。

衝撃的かつ現実離れをした舞台設定であり、実験的な映画である。よってその非倫理性を批判したり、またこの映画が現実社会の具体的な何かを告発するものであるという解釈は的外れになると思う。より恐ろしいのが、この映画から現実に対する考察(たとえば『生き延びる価値のある人間だけが生き延びられる』など)を導いてしまうこと。よってこの映画は十分な批判精神を備えていない未成年に見せることは危険である。

こうして現実から十分に隔離された舞台で深作欣也監督が描くのは、極限におかれた子供たちの個々の生き様と死に様である。四十余名の子供たちが殺し合い、一人一人が死んでいく姿を丁寧に描写する構成は脅威的だが、一つ一つは個人的、それゆえ具体的ではなく普遍的なシーンとなっている。

それゆえ、この映画は凡百の映画の名場面を集めたダイジェスト集のようなもので、物事の判る大人が見る分にはなんら危険でもないし、眉をひそめるほどのこともないと思う。(悪趣味だという批判は正当かもしれないが)

そうやって純粋に娯楽映画としてみると、実に面白い。全員とはいわないまでも十数名の登場人物が、みな準主役級の物語を演じて死んでいくというのは、役者にとっても視聴者にとっても実においしい映画なのだ。事実いくつもの名場面があり、それだけ強く印象に残る。

それにしても殺人という人間性否定の最大の題材を使い、一人一人を丁寧に描くというのはなんとも奇妙な手法である。この作品になにかもっと深い意味があるのかどうか、原作を読んでみたいと想う。


マイアミ警察で潜入捜査官として働く、ソニー・クロケットとリカルド・タブス。今回のミッションは、麻薬密売組織に潜入し、合衆国の捜査情報漏洩ルートを探るというもの。

アメリカの刑事物には珍しく(?)全編ハードボイルドで主人公達はいつも眉間に皺を寄せている。ディティールにこだわった画面とサスペンス感溢れる演出で飽きさせないが、見ていてだんだん疲れてくるのも事実。大衆迎合甚だしいハリウッドの大作映画にしてはある意味画期的ともいえる。

しかしストーリーは通り一遍で印象が薄く、あとから思い出すのも一苦労する。アクションシーンは派手だが、それだけでは作品としての魅力は低い。

大人気といわれる元のテレビシリーズを私は見たことがないが、テレビドラマの拡大スペシャル版といった雰囲気の作品である。

★★★  アフガン零年


アフガニスタンで暮らす少女。戦争で男の家族をすべて失い、祖母、母親と貧困の中で暮らす彼女は、生きていくため、仕事をするために男の子に扮装することになった。

本作の監督はアフガン出身で、復興アフガンの第一作としてタリバン時代を描いた。主演の少女もアフガン出身で、路上で物乞いによって生き延びてきた時代の当事者である。ストーリーや演出以前に、この事実が視聴者に重くのしかかり、同時に映画に力を与えている。

ラストシーンは唐突に訪れる。これは最後に少女が虹をくぐっていくという希望に満ちたシーンを用意していたのだが、主演の少女が当時を思い出して涙を止めることができないという現実を見て、希望を描くにはまだ早すぎるとしてカットをした結果という。

映画としての完成度や洗練度は決して高くはないが、見ておくべき映画の一本ではないかと思う。

少女クリクリと、その周りの愛すべき大人たちが町外れの沼地で繰り広げる心温まる物語。美しい自然と、個性的な登場人物たちの魅力を描ききり、心に残る名作となっている。

物語は老婆となったクリクリの回想として語られるが、劇中何度も現代に戻るような事はなく、集中は途切れない。そのかわりに役者達がそれぞれの役を魅力たっぷりに演じ、牧歌的でノスタルジックな雰囲気があふれる。ラストは悲しい事件で幕を閉じるが、それも含めてクリクリとしては懐かしくて胸がいっぱいになるような思い出なのだ。

★★★☆ 八月の狂詩曲


長崎に住む被爆体験をもつ老婆。ハワイから彼女の元に、実の兄弟だと名乗る手紙が届き、病床の自分に会いに来てほしいという。周りの者たちは会いに行けと言うが、老婆の心には原爆の傷がなお生々しく残り、やがてその心を蝕むのであった。

『なんだかおかしな夏でした。その夏休みには奇妙な出来事ばかり起こりました。』というナレーションで始まるこの映画は、夏休みに長崎のおばあちゃんの家に集まったいとこ達によって語られる。調子外れのオルガンで弾かれる『野ばら』の歌が象徴するように、夏休みらしい非日常的な雰囲気が全編に渡って染みとおっている。やがてその奇妙さは単に夏休みというだけでなく、被爆地長崎という舞台設定にもよるものだということが判ってくる。黒澤監督の作品の中では地味な扱いを受ける作品だが、随所に巨匠の円熟した表現がつぎ込まれ、見ごたえは十分である。

本作のメッセージはいつになく明確で、『反原爆』である。この老婆の心を子供達に伝えたいという思いがみずみずしい表現の中から伝わってくる。

原爆について、リチャードギアに謝罪の言葉を述べさせる場面がある。これは悲しいことだが実際には起こり得ないことであり、事実アメリカのマスコミには激しくバッシングされた。黒澤監督がこの事態を予測していたかどうかはわからないが、日本人にとって原爆を考える際には決して見落としてはいけない現実を、やや場外乱闘気味ではあるが見事に表現していると私は解釈している。(場外乱闘なので、純粋に映画表現として見るとすこし評価が下がる)

本作の圧巻は、ラストである。映画のテーマとリンクするのかどうかはわからないが、映像、音楽、演技、タイミングなどすべてを完璧に操り、映画表現が昇華する実例を見せてくれる。なんとも奇妙な映画である。


キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラ。彼は若き日に友人と2人で1台のバイクに乗り、南米を縦断旅行した。そこでの出来事、出会い、そして主人公の成長を描いた青春ロードムービーである。

チェ・ゲバラの働きやその人となりを知らなくても、本作は十分に楽しめる。しかし旅の途中、そこかしこで彼が何かを感じ、そして将来の闘争へ身を投じるにいたる伏線のようなものが感じられ、奥深い。

個人的には、全編ずっとバイクで走り続けてほしかったが、そこは実話に基づいているので仕方がない。


年老いたボクシングトレーナーのフランキーは、雑用係のエディとともにボクシングジムを営む。トレーラーハウスで育ち、家族の愛情を知らない少女マギーは、プロボクサーとして成功しようとフランキーの門を叩く。女性のトレーナーはやらないと突き放すフランキーだが、マギーの情熱に押し切られ、やがてボクシングを教え始める。そうして2人の快進撃が始まったが...。

事前の知識もなくサクセスストーリーと思い込んで見ていたため、後半の展開で物語に入りそびれてしまった。そのため比較的低い評価になってしまったが、あとから回想するとこれほどまでに美しい映画だったかと思ってしまう。次に見るときは涙ぼろぼろになる予感。

★★★★ 地獄の黙示録


ベトナム戦争末期、ウィラード大尉はカンボジアの奥地で自らの『王国』を築いているというカーツ大佐を暗殺する指令を受け、4人の部下とともにナング河を溯っていく。

前半は戦争の狂気を強烈な映像をもちいてこれでもかこれでもかとぶつけてくる。特に米軍ヘリがワーグナーを大音量で流しながらベトナム兵を虐殺するシーンが衝撃的。後半はうってかわり、まるで狂人の曇った精神の内面を描くかのようにスローダウンする。

何しろ長い作品なので集中力が途切れるとすこしつらいが、必見の映画のひとつ。

★★★☆ イノセンス


科学が発達し、人々が脳や体に機械を埋め込んで生活をしている近未来で、少女型ロボットが暴走し、所有者を殺傷するという事故が多発する。捜査する公安9課のメンバーも多くは電脳化をしており、自分は何者か、魂とは何かという自問を抱えている。

生命とは、自己とはというキャッチフレーズは美味しいが、本編を見ると実はたいしたメッセージ性もストーリーの深さもない。古今東西の哲学者の名言が繰り返されるので深読みをしようとすればできるが、あくまで借り物の深さでしかない。本作の魅力はそこではなく、圧倒的な映像の美しさと独特の響きを持つ音楽である。その映像はハイビジョンの大画面で見ると圧巻で、アニメという表現手法が到達できる極致にある。また前述の名言集を含めて独自の世界観を確立しているため、一部のファン達には中毒性があると思う。

★★★★ ハウルの動く城


帽子屋で働く18歳の娘ソフィーは、荒地の魔女に呪いをかけられ老婆に変えられてしまう。呪いの力でそれを人に告げられないソフィーは、町を後にするが、そこで魔法使いハウルの動く城に出会う。

絵、音楽の質の高さは宮崎駿作品の頂点ともいえ、それだけで感動を呼ぶ力がある。アニメ作品で登場人物それぞれの思いをこれほどまでに描きこめるものかとも感心させられる。戦争、人の善性、心の老いとテーマも深く、そのつもりで見ればメッセージも明確だ。

物静かなだけでちっとも魅力的ではなかったソフィーが、老婆に変えられるという試練を受け、ハウルと出会うことにより大切なものを知り、文字通り若返っていく。強い力を持ちながら心は子供のままであったハウルが、守るべきものを得て、成長をしていく。主軸となるストーリーはシンプルではあるが力強い。

しかし冒頭のアフレコは酷い出来で、作品として完成していない。ラストにも安直な無理やり感があり、なんだかとてももったいない。要素要素はすばらしい作品なのだが、全肯定できないのがさびしい。